2017 年4月9日

「ろばに乗ってあなたの王は来られる」  詩編118:22-29、マタイ21:1-11
                 伊能 悠貴 伝道師 (さがみ野教会)

 イエスという名の方が、ろばに乗って都エルサレムに入場されました。多くの人びとはこの方に向かい、「ホサナ!ホサナ!」と叫んでおりました。助けてください!救ってください!という意味です。都中の人々は、これを聞いて「いったい、これはどういう人なのだ」と驚きました。
 私たちが教会に足を運ぶときに目にする光景というのは、まさにこのような光景であると思います。イエスというお方に「助けてください。救ってください。」と叫ぶ者が集まります。初めてイエスという方と出会われた方は、「いったい、このイエスという方はどういう方なのだろう」と思われることと思います。
 教会は、約2000年間、このイエスというお方を救い主と信じて歩んでまいりました。2000年間ですから、言い方を換えるならば、聖書に登場するイエスという方は、この時代にだけ生きた偉人という訳ではなくて、今も生きている神の子なのです!この方は、今も生きておられ、私たちの救いを与えてくださる神の子、私たちの王なのです。
 ですが、そうは言われましても、このお方のことを知ることで私たちにとって何が変わるのでしょうか。日々、忙しく生きています。仕事をしています。家事育児をしています。自分に与えられている課題、務め、重荷…たくさんあるのです…不安を抱えながら生きているのです。主イエスは、それを知っていたので、私たちのもとにろばに乗って来られました。
 本日は、マタイによる福音書という箇所を読んでいただきました。時代は西暦30年ごろ。舞台は地中海に面する国イスラエルです。イスラエルとは水色の六芒星を中心とした白地の国旗を掲げ、現在もある国です。西暦30年当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にある国際情勢のもと、とても圧迫されていた国でありました。ローマ帝国の支配は、地中海沿岸全域に渡っておりました。現在で言うところの、トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、アフリカ大陸北部。すさまじい支配力のもとに、イスラエルもまた置かれていたのでした。納税の義務が課せられた。皇帝礼拝も強いられた。まことの神を礼拝しつつ生きたいと思うイスラエルの人々は、自分たちを圧迫するかのような政治下の中で、なんとかして自分たちの生活を保って生きておりました。それが、この時代の人々でした。
 私たちもまた、時代と文化の違いはあるものの、苦しい生活のもとに置かれ、自分の生活でやっとのことがあります。自分の声がどこにも届かない思いをしながら生きていることがある。ますます自分の生活は自分で保たねばならないとふさぎ込んでしまう思いになります。だんだんと、だんだんと、自分の生活で精いっぱいだ…と余裕のなくなっている時代に生きつつあるのかもしれません。
 イエスというお方は、そのことを誰よりもご存知でした。人の生活、人の心の奥底までご存知でした。私たちを救うために来られた。「いったいどのように救ってくださるのでしょうか。いったい私たちは何に苦しんでいるのでしょうか。」私たちの苦しみをご存知のこのお方は、ろばに乗って来られました。白馬ではありません。人の重荷を背負う動物ろばです。この方は、ローマ皇帝を倒すような形でこられた訳ではありませんでした。その力はあったはずです。この世界を造るほどの力をお持ちなのですから。ろばに乗ってこられることこそ、私たちの救いのために必要だったのです。
 この方は徹底的に柔和で、謙遜で、人の重荷を担う王として私たちの前に来られました。すでに今ある王をなぎ倒すようなことをいたしません。謙遜をもって私たちの問題を共に担うために、私たちの前に来られたのです。この方は言われます。「あなたの重荷は一体何か。それを、私が担おう。あなたは一体何に苦しんでいるのか。」じーっと待つようにして、この方は尋ねておられます。「あなたの苦しみを教えなさい。私が担おう。」
 私は精いっぱいやっています。生活を必死に守っています。我慢をしています。苦しい中でもへこたれず、生きてきました。自分は正しくやろうとしてきました。
 不思議と、苦しみを問われているのにも関わらず、自分の正当化が始まってしまいます。「いいえ。私の本当の苦しみは、他の人のことが信じられず、批判してしまうことです。自分のことばかり考えて、他の人のことはどうでも良いと思ってしまうのが、私の苦しみです。まるで、自分が自分の王様のように生きているのが、私の苦しみです。」「イエスさま、どうぞお助けください。」
 イエスは王となられ、十字架にかけられました。私たちの重荷を背負い、十字架にかけられました。苦しみを担い、憎しみを担い、十字架にかけられました。高慢という態度を持つ王たちのために、自分がまことの王になり、十字架にかけられました。私がこの方を十字架にかけました。この方は私の王となられました。
 そして十字架の上で言われます。「あなたの罪は赦された。あなたのことを、わたしは赦している。」
 この方が、2000年間、教会が礼拝しつづけている王であり、救い主です。あなたを造られ、あなたを愛し、あなたを赦し、あなたに命を与える救い主、王です。信頼することのできる王です。すべてをゆだねることのできる王です。
 もう自分ひとりで抱え込まなくていい。私にすべてを打ち明けなさい。あなたの罪は赦している。
 私たちはこの方に信頼して、はじめて生きていく力が与えられます。自分がここにいて良いのだ!生きていて良いのだ!と力が与えられます。なんと大きな恵みでしょうか。自分ひとりの力で生きていきなさい、と言われているのではない。あなたの命を、あなた以上に大切に思っているお方がおられる。主イエス・キリストです。この方は、今も生きておられる私たちの救い主、王なのです!
 この方に、私たちも「ホサナ!救ってください!」と叫びつつ、これから後、生きてまいりましょう! あなたの王は、ろばに乗って、あなたのもとに、来られました。
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by higacoch | 2017-04-11 14:39 | マタイ
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