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2017年2月19日

「罪と死に勝つところ」       出エジプト19:1-6、マタイ16:13-20
                           関 伸子 牧師 

 マタイによる福音書は、ここから新しい部分に入ります。これまでの箇所は、ガリラヤから出発した主イエスの宣教活動がどんどん広がっていったことを記していました。人々の病を癒し、パンと魚の奇跡で多くの人々に食事をお与えになりました。この後の主イエスの活動は十字架に向かって集中していきます。ここは地理的にもひとつの折り返し点です。
 この舞台となったフィリポ・カイサリア地方はガリラヤよりもさらに北、ヨルダン川の源流です。あまり賑やかな場所ではないところにある町です。しかし風光明媚で知られ、ヘロデ大王の別荘がありました。「弟子たちにイエスは『人々は人の子のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった」。この北の果ての地域で、主イエスの問いかけに答えて、ペトロは「あなたはメシア(キリスト、救い主)、生ける神の子です」(16節)と、主イエスに対する信仰告白をしました。
 この告白が、もう一つ大事な意味を持っているのは、その後に続いてこう記されたことにもよります。「すると、イエスはお答になった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる』。
 イエスは教会をお建てになったのです。そしてその教会の歴史が、ここから始まるのです。そして、この教会についてイエスは言われました。「陰府の力もこれに対抗できない」。ご自分が、これから建てる教会の特色は何か。陰府の力もこれに対抗できない、そういう強さだと言われたのです。
今年は宗教改革から500年経った記念の年です。牧師・神学者である徳善義和先生の『ルター』という書物を読みました。挿絵、写真の類い一切なしです。そこに、ただ例外として図版が一つ入っているのです。それは何かというとルターの紋章なのです。このルターの紋章というのは、丸い円です。空色、薄い黄色で塗られています。その縁は金色です。中央に白いバラの花が描かれていて花弁は4つです。そのバラの花の芯に当たるところに、ルターのシンバルマークらしいもので、赤いハート、心臓が描かれているのです。更にその心臓の中心に黒い十字架が書かれています。実はこれは美的感覚からすれば、色の配合が、少なくとも日本人の趣味に合わないと私は思ったのです。徳善先生の本は、そのシンボル・マークのところに、ある人に宛てたルターの手紙の一節が、引用しており、そこで、ルター自身が、この紋章の意味を説明しているのです。たとえば、なぜ一番外側に金色の輪が描かれているかと言うと、金は、最も得難い、そして廃ることのない宝を意味するのであって、そのように、われわれは、天に至る救いに生きている、終わることのない、いのちに生きているのだということを示しているのだというのです。
 主イエスは、「わたしの教会」と言われます。主イエス・キリストの教会なのです。「わたしの教会」にあなたがたは生きる。「わたしの教会」をあなたがたがみんなで作る。わたしをキリストと呼ぶときに。そしてあなたがたが造る「わたしの教会」に、死もまた刃向かうことができない。そう宣言してくださったのです。
 ルターは自分自身の姿を示すシンボル・マーク、紋章を金色の枠で囲んだのです。いのちの枠で囲んだのです。そしてその上にML、つまりマルティン・ルターという自分の名前の頭文字を書いたのです。私たち、もそのようないのちの望みに、今ここで生き抜いているのです
その金色の輪の中に、ルターは白いバラを描きました。ルターは、手紙の中で、白は雲と天使を意味すると言っています。そして空色は天を意味すると言っています。「天」、神のいますところ、その天にあずかる望み、喜びの中に、今自分たちは、天使のように生きることができるというのです。
主イエスは、19節にこう言われました。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。死の門から押し寄せてくる力に勝って、それを振り切ることができる教会は、天国の門を開くのです。
このペトロの告白に続いて21節にこう記されました。「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に甦るべきことを、弟子たちに示しはじめられた」。ここでイエスは、初めてご自分が十字架につけられて殺される定めであることを語られるのです。
 ルターが、先ほど紹介した手紙の中でこう言っています。「黒い十字架、それは死のしるし、痛みを意味する」。キリストの痛ましいあの死、そして死における十字架の愛の痛みをこの黒が語るのです。その十字架を抱くようにして、書かれている心臓の色、それは、いのちの色で塗られなければならない。神の義によって生きる人間は、十字架につけられた方を信じることによって、いのちに生きるのだと言うのです。そのお影で、私たちの黒枠は黄金色に輝くのです。
 手を合わせて「私はキリストを信じている、私もイエスをキリストと呼んでいる。イエスさまがついている。なぜ怖がっているのだ、なぜ恐れているのか、なぜ臆病になっているのか」と自分に言い聞かせる。それができるのです。教会に生きているのですから、それができるのです。それが私たちに与えられている恵みです。お祈りをします。
by higacoch | 2017-03-20 08:23 | マタイ
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