「信仰が無くならないように」 ルカ22:31−34
唐澤 健太 牧師(国立のぞみ) 誰もが一度や二度、いや何度も信仰生活を送る中で自分の信仰が揺さぶられる経験をしたことがあると思います。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」(31節)。なぜ神様はサタンの願いなどを受け入れてしまうのかと思いますが、これは弟子たちが経験する現実そのもと言えるでしょう。キリスト者として信仰生活を送るとき、サタンに「ふるいにかけられ」、神様から心が離れていく出来事、「信仰の危機」があるのです。 ペトロは試みにあったとしても「覚悟しております」と答えました。「牢に入っても死んでもよい」とまで彼は言いました。権力者たちと主イエスの間に日に日に緊張が高まっていくのをペトロもよく知っていたことでしょう。このまま行けば、投獄や最悪は死をも覚悟しなければならないとペトロは感じていたのでしょう。ペトロは本気でした。しかし、ペトロの覚悟は、その日のうちにもろくも崩れ落ちてしまったことを私たちは知っています。ペトロは自らの覚悟、勇気、力がすべて打ち砕かれてしまう信仰の挫折を経験したのです。 信仰生活は、いつも穏やかなクルージングを楽しむような世界ではありません。私たちの人生は、平穏にいつも穏やかに日々が過ぎていくことなどありえません。時にはその船が沈みそうになる、人生の危機的な状況を迎える時がある。その時に、私たちの信仰が試されるというか、ふるいにかけられるような経験を私たちもします。 思いがけず病になったり、自分が思うように道がなかなか開けない。行き詰まりを覚える中で、神様に心を向けることから離れてしまう時が、私たちの信仰生活の中にあります。 ある方が以前、思いがけない試練を経験されたことを打ち空けてくださいました。様々な人間関係の中で苦しい経験をされ、その御自分の感情を含めて話して下さった。随分と長い時間、お話をして、最後に祈りましょうと言って短く祈りをささげました。「アーメン」と祈りを結んだ後に、その方が、「先生、祈るってことをすっかり忘れていました」とポツリと言われました。「長年クリスチャンをやっていて、まさか自分が祈ることを忘れるようなことを経験するなんて……。自分がクリスチャンであるのは当たり前だと思っていたのに、神様とか、祈るってことさえ、ここ最近は忘れていました」と告白されたのです。 この一人の信仰者の経験は、私たちの経験でしょう。自分の覚悟とか、自分の力、自分の勇気、そのようなものは、平穏な時は「大丈夫!」と自信を持って言えるかもしれませんが、いざ試練の中に叩き込まれ、「ふるい」にかけあれるといとも簡単に飛んでなくなってしまう。私たちの信仰は、もろいものです。 もし私たちの信仰が、私たちの覚悟、私たちの気の持ちよう次第だったとするなら、こんな不安定な、不確かなものはありません。 「しかし、わたしはあなたたちのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)。イエス様はペトロが信仰が無くなってしまう経験を知っておられる。私たちが信仰の危機を経験することを知っておられる。だから、主イエスはペトロのために祈ったと言われたのです。私たちはサタンのふるいにかけられ、祈る気力さえ失ってしまう時があります。聖書を読むことに心がまったく向かない時を経験します。神を礼拝する思いにならない時があります。しかし、主イエスが私たちのために祈っていてくださる。この主イエスのとりなしの祈りに、私たちの信仰は支えられているのです。 私が伝道師に任職される時、荒瀬牧師が説教の中で「あなたの後ろ盾は主御自身です」と語られたことを今でもはっきりと覚えています。伝道者の歩みは決して平坦じゃない。自分の力のなさや、時には自分の信仰が揺さぶられなくなってしまうような試練も経験するかもしれない。だけども、「主が後ろ盾である」ことを忘れないように。 信仰者にとっても同じです。「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」(Ⅱテモテ2:13)。たとえ私たちが主の手を離してしまっても、主はその手を私たちから離すことはないのです。たとえ自分には信仰が無い、と感じたとしても大丈夫。主イエスが、私たちの信仰が無くならないようにとりなし、祈っていてくださるから。その主イエスの祈りが、私たちに希望を与えてくれるのです。 自らの覚悟などあっという間に消え失せてしまうような私たちのためになおも祈り、愛し、赦してくださるキリストの真実に信頼すること、それこそが信仰なのです。私たちの信仰は、私たちが自分の力でつかみ取った何かではありあせん。「私たちが」ではなく、「神が」私たちを選び、愛してくださった。それが私たちの信仰の始まりです。私たちの信仰は神の賜物に他なりません。 ペトロのために祈られた祈りは、いまも私たちのためにささげられる主イエスの祈りです。私たちが「もう信仰をうしなってしまった」というところで、あなたのために祈った! そう言われる主イエスの祈りが私たちの信仰を支えてくださるのです。
by higacoch
| 2016-02-27 17:54
| ルカ
|
カテゴリ
全体 創世記 出エジプト記 ルツ記 サムエル記 列王記 歴代誌 エズラ記 エステル記 ヨブ記 詩篇 イザヤ書 ミカ マタイ マルコ ルカ ヨハネ福音書 ローマ 使徒言行録 コリント ガラテヤ エフェソ フィリピ コロサイ テサロニケ テモテ フィレモン ヘブライ ヤコブ ペトロ ヨハネの手紙 ヨハネ黙示録 未分類 タグ
以前の記事
2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||