「人間の罪」 詩編86:11-13、ローマ1:18-25
今朝は、わたしたちのカンバーランド長老キリスト教会の設立記念主日礼拝日です。いつも礼拝の中での「信仰告白」は「使徒信条」を告白していますが、今朝は、私たちの「信仰告白」の一つの条文をもって告白します。それは、2.06条項です。 私たちの信仰告白は、人間の罪をどのように告白しているでしょうか。第2章にまとめて書かれていて「人類は神との関係を破る」とあります。つまり、人は神様から頂いた自由を誤って自分勝手に使ったと告白しています。2.03では「人類の最初の親たちは、神に、より頼むことを拒み、自ら好んで従順を捨て、創造の目的である神との交わりを破壊した。彼らは、その存在のすべての面において罪に傾くものとなった」続いて2.04には「アダムとエバがしたように、すべての人々は神に逆らい、神との正しい関係を失い、罪と死との奴隷になっている。この状態がすべての罪深い態度や行為の源になっている。」とあります。 ここでは、罪の原因、結果、そして傾向性が告白されています。「すべての人々は神に逆らい、神との正しい関係を失い、罪と死との奴隷になっている。」と。これは過去のこととして、以前は「罪と死との奴隷になっていた」と告白しているのではありません。これは今も罪を犯すということです。キリストを信じる前だけでなく、信じた後でさえ罪を犯すのです。人間の罪は、人と比べて深く知ることではありません。より深く知るには、人と比べてではなく、神を知ることによって自らの罪を知らされ、さらにキリストを知ることによって己の罪をさらに深く知らされます。イエス・キリストを知らなければ、罪も知らないし、さらに、イエス様の十字架の意味も、また十字架の上での死も、さらにイエス様の復活をも知り得ないのです。復活を知るということは、自分の救いが与えられていることを知ることなのです。救いは、キリストを信じることによってのみ与えられるのであり、キリストを信じて生きていくことが、何よりも大事であります。その信仰は過去の恵みとして生きるのではなく、現在進行形で生きていくことが大事なことです。それはキリストがあなたに、今も救いを与えて下さっているからです。 イエス様がわたしの救い主であるといまだ知らない人と、信仰によって知らされている人との違いは、決定的な違いであります。それは、わたしたちの人間社会の側からみれば、それほどの違いがないように思われるかもしれませんが、神様の側からみれば、決定的な違いがあるのです。 今朝、与えられている聖書の箇所は、どうも難しい言葉がつづられていて、理解しにくいと感じる方が多いのです。そこで皆さんにも解るように、今日はマザーテレサの言葉を通しながら、聖書が語る「人の罪」を考えていきたいと思います。マザーテレサが始めた修道会の名前は「神の愛の宣教師たち」であります。この修道会では、貧しい人の中の最も貧しい人に仕えることを大切にして、神様の愛を宣教しています。つまり極貧の人に仕える愛を以って、神様の愛を宣教していると言っていいでしょう。昨年、渡辺兄弟が私たちの教会に入会された際、小冊子に皆さんからの祝詞を書いて頂きました。その小冊子が、マザーテレサの言葉集であり、そのタイトルは「ほほえみ」でした。その中に、「この世でいちばん美しいことは、神様が私たちを愛してくださるように、わたしたちも互いに愛することです。わたしたちが、この世にいるのもこの目的のためです。」とあります。神様がご自分を愛するのではなく、私たち(他者)を愛して下さったように、私たちも他者(隣人)を愛し、互いに愛し合うことが求められているのです。しかし、私たちは自己中心で、自分を愛することに集中してしまいます。神様の言葉に従わず、別のものを信頼(信仰)するのです。ここに罪があります。 神様は、独り子イエス様を、この世に遣わして、人とのかかわりを持ちました。そして、御子イエス様は、すべての人のために御自ら自分の命を捧げられました。こうして、イエス様は、私たちを愛して下さいました。そのようなイエス様から、離れていってしまうことは、わたしたちの信仰告白にありますように、罪を犯す傾向にあるということです。そしてイエス様の愛の行為の反対をするということは、罪を犯しているということです。つまり、人を愛さないで自分だけを愛しているなら、それは罪を犯していると私は思います。これは誤解がないように、加えて言わなければなりませんが、行動をしていない人は、罪を犯しているということではありません。行動しなくても人を愛することはできます。それは人のために祈るということです。また次のことも言わなければなりません。愛の不足は、罪ではないと。小さな、わずかな愛があれば、それは罪ではないと。愛というのは、小さいとか、少ないとか、で計られるものではありません。ある人が、あんたの愛は少ないと、自分の計りで、裁くことはできません。私たちの信仰告白に、「神との正しい関係を失い、罪と死との奴隷になっている。」(2.04)とあります。そのようにならないために、神との関係を失わないように、神を見上げて、信仰の道を歩んで行こうではありませんか。そのためにも、御言葉を聞きつつ、礼拝を守って歩んでいきましょう。
by higacoch
| 2016-02-13 17:42
| ローマ
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