「御利益あるんですか」 1 テモテ 6:1-12
荒瀬 牧彦 牧師(めぐみ教会) 「キリスト教は御利益がない。だから有り難い」という老牧師のことばを、昔ある本で読みました。宗教というのは信じる人の益のため、という考え方が強い日本の精神風土においては、これはまったく馬鹿げた言葉に聞こえるかもしれません。「御利益がない」などと威張っている宗教団体に誰がいくものか、ということになるかもしれません。しかし、「御利益がないから有り難い」というのは、福音の核心をついている名言かもしれないと思うのです。実際、この「有り・難さ」がわからない限り、キリストにとどまることはないでしょう。教会は「いのちを捨てる者が得る」という「有り・難い」十字架の逆説に立っているのですから、もしもこのような福音の持つ逆説性を捨ててしまって、直接的な見返り(御利益)追求路線に走るなら、最も大切なものを失うことになっていまいます。それこそが教会の危機です。 テモテへの手紙は、当時の教会を襲いつつあった危機について触れています。 <キリストの健全な言葉に従わない者がおり、ねたみや争いが生まれている。そういうことは、精神が腐り、真理に背を向け、「信心を利得の道と考える者の間で起こる」のだ。信心に励むことと、富を得たいという野心が結びついてしまっている。> 純粋だった思いも、一度それが利得と結びついてしまったら、富の誘惑が支配的になってしまう。それが人間の必然です。現代のキリスト教においても、経済的成功を神の祝福と同定する「繁栄の福音prosperity gospel」の誘惑は強いのです。(それを説く巨大教会には人が集まってきます。)人の道というのは、お金という動機によって容易に狂わされてしまうという現実は我々はこの世で嫌というほど目にしていますが、それは教会もまた例外ではないのです。 しかし、テモテへの手紙は悲しき事実を語って終わるのではありません。それをはるかに上回る喜びの真実をも語っています。そこのところを読み落としてはなりません。どういうことかというと、「利得」というものにまったく異なる光をあてるのです。 6節「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です」。 信心は利得を得るためのものではありません。しかし信心は「大きな利得の道」なのです。「利得」でなく「大きな利得」というところがミソ。(老牧師の「御利益がないから有り難い」という名言はここから生まれたのかもしれませんね。) クリスチャンになったからといって、この世で厚遇を得るわけではありません。むしろ損することのほうが多いかもしれません。 <でもそれがなんだろう。食べる物と着る物が与えられているのだからそれで十分ではないか。そんなことより、私は神の愛という至上の「大利得」を得たのだ。神が私のために御子を与えてくださった。御子は十字架によって命を与えてくださった。神の愛が私を包んでいる。それが誰も奪うことのできない宝である!> 信心は「満ち足りることを知る者には」大きな利得の道です。「満ち足りるを知る」とはどういうことでしょう。少しのものでつましく生きなさいということでしょうか。そうではありません。若い頃は肉を食らい酒をたらくふ飲んだが、最近は野菜だけで十分になった、ということでしょうか。違います。それはただの加齢です。そういうことではなくて、<これが私の道である、これが私のいのちである、ここに私の人生がある>と思い定める、ということです。<ここに私のすべてを満たすものがある、この道を歩めばよい。>そういうものと出会ったがゆえに、もう他のものに目移りしないということです。<これでいく、これが道だ>と思い定めているということです。 主イエスのもとにやってきた金持ちの議員(ルカ18章)は、持っている財産を貧しい人たちに施して、手に何も持たないで従っておいで、というイエスの招きに従うことができませんでした。イエスの「おいで!」、それこそが永遠の命だったのに!彼は小さな利得は失わず、その手に握り続けることができたかもしれませんが、それよりはるかに大きな利得に背を向けてしまいました。 「満ち足りるを知る」とは、神は必ず自分に最善を与えてくださると信じること。もっと利得をと絶えず欲に駆られ、満たされぬまま不安を抱え続けて過ごすのではありません。<神は自分に最善最適最高のものを与えてくださっている。ここに私の道がある。>そう思い定めている者にとっては、信心は(皮肉でも理屈でもなく実体験として)「大きな利得の道」なのです。<あれがなくて悔しい、これがなくて悲しい>と愚痴りながら過ごす人生ではなくて、「こんなに良いものを与えてくださって有り難うございます」と感謝して過ごす人生をイエスは与えてくださるのです。
by higacoch
| 2015-11-28 16:54
| テモテ
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