「金銭を追い求めると」 アモス8:4-7、テモテへの手紙一 6:2c~10
私が神学校に入ってすぐの頃、戦前、戦中、戦後を生きてこられた先生が「私の神様への願いはこれです。」と教えて下さった聖書の言葉は「 むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。 飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません。」(箴言30:8-9)というものでした。忘れることができません。お金がなくて食べるのに窮する生活をされたのでしょう。 イエス様もお金のことではこんなことを言われました。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ19:23,24)と。当時、ユダヤの国の家畜の中で、一番大きなものはラクダでした。そのラクダが針の穴を通るより、金持ちが天の国に入る方が、もっと難しいと言われているのです。そして「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)ともいわれています。つまり神様に仕え、お金に仕えるという二刀流はできないと言うことです。イエス様が、神に匹敵するものとして上げられているものが、お金なのです。それほど、人はお金の誘惑に陥りやすいのです。 今朝の箇所から学びたい。ここでパウロは「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。」と言っています。お金の欲望、それを持ち続ける人は、滅亡と破滅に落ちていく。つまり、お金の盲者になれば、その道は破滅です。さらに「金銭の欲は、すべての悪の根です。」、「金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」とパウロは言っています。金銭欲にかられての歩みは信仰の道からそれていき、さまざまなひどい苦しみの道へ迷い込んでいくことになると言うのです。 ここでパウロは、金持ちになろうとする者、金を人生の目的にして生きている者に注目していて、お金持ちに注目して言ってはいません。あくまでお金持ちになろうとしている強欲な人に言っているのです。パウロの時代にも強欲は大きな問題でした。だから若きテモテに個人的な手紙で書いています。「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないから。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。」と。ここには大きな利得の道と語られていますが、ちょっと解りにくいのです。普通、利得と言ったら、金儲けをすると考えがちですが、ここでは満ち足りることを知っている人たちだと言っています。それは無欲だからだと言うのです。では、どこに利得の道があるのでしょうか。それは強欲な者が、欲張って、さらにお金が欲しいと願う。そして誘惑、罠、有害なことなどを体験する、そうなれば、お金を守ろうと躍起になる。心労で不眠になり、体調不良を起こす。でもお金のためだと、背負い込んで苦労する。そのうち病気になったりしてしまう。そして病院通いをし、治療代、薬代とお金がかかっていきます。このように強欲な者は案外損をしているのです。それに対して、満ち足りることを知る人、主にあって無欲な人は、大きな視点から見ると、意外に損することが少なく、利を得ています。利を得ていると言ってもお金を得ているのではありません。自分の健康、人からの信頼などを得、それ以上に神からの祝福を頂いているのです。 パウロが言うように、人は金銭を追い求めるうちに、信仰から迷い出ていきます。金銭を追い求めているうちに、迷い込み、自滅のみちへと進んでいってしまいます。ですから、金銭を追い求めているなら、それに早く気付くべきです。しかし人から言われても気づきにくいものです。礼拝を通して、神様の言葉を心から聴き、深く受け止めることによってはじめて気づかされます。強欲な道を離れることによってではなく、神様に近づいて、悔い改めて生きることによって気づくことができます。悪の根を摘み取る事が出来るのは、主イエス様ですから、その言葉に従って生きていかねばなりません。小さくても主の言葉に従って歩んでいきましょう。そこには真実の利得があり、神の祝福があるのですから。
by higacoch
| 2014-10-11 09:36
| テモテ
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