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2014年5月25日

「 ひと言ください 」    詩編34:5-10、ルカ福音書7:1-10
                             
 わたしたちの周りには、この「ひと言」という言葉があります。私の本棚にも「わたしを支えた母のひと言」という題名の本があります。多くの人が書いていますが、お母さんのひと言が人生の中で心の支えとなったということです。もうずいぶん古い本で、その中には大鵬関、三浦綾子さんらも載っています。私にとっては父のひと言が印象にありますが、「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し」(徳川家康)とよく聞かされました。そんな私が九州から上京して教会に導かれ、イエス様の言葉に触れました。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのものに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」人生の重荷を負うて一生生きていく覚悟を持って生きるのか、それともイエス様を信じて安らぎを頂いて生きるのか、私はイエス様を救い主と信じて、イエス様から安らぎを頂いて歩むことになりました。これはイエス様が言われていることです。「わたしは、柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは追いやすく、わたしの荷は軽い。」と。
 今朝、与えられましたルカ福音書には、一人のローマの軍人、百人隊長のことが記されています。彼には部下が100人おり、軍の秩序の中に生きて、統率する人物です。聖書を読みますと、彼は部下思いの上官で、部下から尊敬されていました。しかもそれだけではなく、ユダヤ人たちからも尊敬されていた人物だったのです。ユダヤ人の長老たちに「あの方は、願いを聞いて頂くのにふさわしい人です」と言わしめたくらいですから。彼は部下の一人が病いで死にかかっていたので、イエス様に癒して頂きたくて、使いをイエス様の所に送っています。使いとしてやってきたのは、ユダヤ人の長老たちでした。その長老たちは必死にイエス様に願いました。するとイエス様はその願いを聞き入れ、隊長の家に向かいました。そして家近くに来た時、別の使いがやってきて、隊長のことづけを伝えました。「主よ、ご足労には及びません。私はあなたさまを自分の家にお迎えできるようなものではありません。ただ、ひと言だけ、おっしゃってください。そうしてわたしの部下を癒してくださいますように。」と。イエス様は、隊長の言葉を聞いて非常に感心し、周りにいた人たちにも聞かせようと、その人たちの方を振り向いて「わたしはイスラエルの中でも、これほどの信仰を見たことがない」と言われました。イエス様は同胞のユダヤ人の中で見ることがなかったほどの信仰を、異邦人の彼の中に見られました。だから、感動して「これほどの信仰を見たことがない」と言われたのです。
 その後、イエス様が隊長のためにどんな「ひと言」を言われたのかは、聖書には記されていません。しかし同じような出来事を記した他の福音書を見ますと、イエス様が何を言われたのが想像できます。イエス様は、次のようなひと言を言われたのでしょう。「あなたの信仰が、あなたの部下を救った。あなたの部下は生きる」。隊長の信仰が、部下の病いを癒し、部下の救いをも、もたらしたと思います。これと同じように他の人のとりなしの信仰によって癒された出来事が聖書に記されています。(参照:ルカ福音書5章の中風の人の癒し)ここでは中風の人を4人が床に載せてイエス様の所に連れてきました。そこで、イエス様は、彼ら(4人)の信仰を見て、その人に、「あなたの罪は赦された、」と言われました。この奇跡は、今朝の百人隊長のとりなしに通じることだと思います。こうしたことを思うと、隊長のとりなしの信仰は、私たちにも求められています。私たちも隣人を愛し、隣人が救われるために、まずイエス様に近づくことを求められているのです。そして「ひと言、下さい」と願うことは、私たちの信仰の歩みに大事なことであり、また隣人を愛するためにも必要なことだと知らされます。
 この時代、生きる望みを失っている人、一人で家の中に引きこもっている人、心を病んでいる人がいます。その人たちのために、私たちも、イエス様に「ひと言、下さい」と求めて隣人を愛して歩んでいきましょう。百人隊長のように。
by higacoch | 2014-05-26 22:12 | ルカ
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