「共にいてくださる」 詩編23:1-6、ヨハネ福音書14:1-3
私は神学校を卒業して23年牧師として仕えた後、2年間老人保健施設で介護職員として働きました。その後も高齢者施設でパートの仕事を3年して介護福祉士の資格を取得しました。そして現在、教会でデイ・サービスを行っています。こうしたことから「婦人の友」社から原稿を依頼されて高齢者のことを書きました。特に認知症のことを書かせて頂きました。その時、高齢者の認知症はサンマの問題だと書きました。サンマと言っても秋の味覚の秋刀魚ではありません。サンマと言うのは三つの「間」のことで、時間、空間、人間の三つです。最初は「時」です。介護関係で認知症を調べる長谷川式認知症診断テストというものがあります。その最初の質問は「お年は、おいくつですか。」、次が「今日は、何年の、何月、何日ですか?」と時間的なことを聞きます。自分が何歳なのか、今日が何年、何月、何日なのか、解らなくなります。次は空間の問題で、先程の長谷川式でも、第三問で「ここはどこですか」と聞きます。今、自分がどこにいるのか、解らなくなります。老人の徘徊問題がとりざたされていましたが、それは自宅等へ帰りたいとの願いから、施設を出て家へ帰る道を探すのですが、道が解らないのです。その結果として、徘徊していると言われてしまいます。次は人間です。これは自身の子どもも解らなくなってきます。最初は解りますが、だんだん解らなくなってきます。そして、ある日、実の娘に対して、「あなた、だーれ?」「施設の方?」となります。このように認知症になると、三間がおかしくなってきます。 また、昨今の高齢者問題として考えたいのは、孤独、そして孤独死です。今では一人暮らしは若年、壮年の独身者よりも高齢者の一人暮らしが多いのです。人は、誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいくのです。人生のどこかで孤独を感じることがあるでしょう。それがいつなのか、それは人によって違うと思います。 そのような中で、ぜひ、今朝与えられている聖書の言葉を思い起こして頂きたい。詩編23篇、この箇所は多くのキリスト者に愛されている聖書の箇所の一つです。私も高齢者の方を訪問した際には必ずと言っていい程ここを読みます。この詩編は神様が私たちを見守って下さり、訓練し、育てて下さり、何よりも共にいて下さると歌われています。1節の「主」は神様です。羊はわたしたちです。4節には、「死のかげの谷をゆく時も、私は災いを恐れない。あなたが私とともにいて下さる。」これを、もっと身近にいうのなら、「神様が、どんな時も共にいる」という確信からの言葉なのです。神様が「共にいて下さる。」皆さんは、ご存知でしょうか。クリスマスの時にイエス様の誕生をお祝い致します。そのイエス様の別名はインマヌエルと言います。このインマヌエルとは、「神様が私たちと共にいて下さる」という意味なのです。 先程、私は「婦人の友」に認知症のことを書きましたとお話ししました。実はその最後の部分をお話ししていませんでした。それは私たちにとって最も切実な問題があったからです。三間の問題として三番目に人間の問題がある、親子の関係も解らなくなると話しました。しかしこれはもっと考えると、人間の関係だけでなく、神様との関係も解らなくなるということなのです。若い時、教会に熱心だった母、認知症になって娘の私のことも解らなくなってしまった。それと同様、神様のことも解らなくなってきてしまいます。母にとって神様ってなんだったのだろうか、認知症になって私のことも解らないように、神様のことも解らないようだと思われるかもしれません。実際、神様のかの字も言わなくなった信仰者もいらっしゃいます。もう聖書の言葉も神様に祈る言葉もちっとも口にのぼることはない人もいます。そのような人を私たち人間の側からみれば、元の黙阿弥ではないか、結局、何にもならなかったと言われてしまうことがあります。 しかし、覚えて頂きたいのです。認知症の人がそうなったとしても、神様まで認知症になられるのではありません。神様は詩編23編で歌われているように共にいて下さいます。たとえ私たちは神様が解らなくなっても、神様は私たちを見捨てたりされません。新約聖書のローマの信徒への手紙8章で「死も、命も、現在のものも、未来のものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から私たちを引き離すことができない」とあります。ここには認知症も含まれています。だからその人がたとえ認知症となって神様のことが解らなくなったとしても、神様の愛から切り離されることはないのです。 ですから、天に先に召された人は神様と共におられると信じています。また私たちが天に召された時も、天国でイエス様が私たちと共にいて下さると信じます。召された方がたが、神様と共におられることを確信して、神様に感謝して祈りましょう。また私たち自身も、たとえどんなことがあっても、死を迎えても、神様が共にいて下さっていることを信じて、イエス様を見上げて、今生かされている人生を歩んでいきましょう。
by higacoch
| 2013-09-28 17:57
| 詩篇
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