2013年7月21日

「あなたは愛されている」  詩編94:12-15、ヘブライ12:3-13
                              
 6月30日に小金井市宣教75周年を記念して一致祈祷会が日本キリスト教団小金井教会で行われました。礼拝が終わって茶話会の時、佐藤岩雄先生のお連れ合いの鶴子さんのお父さん、鈴木英治牧師がこられて、ご自身が著された本「聖書におけるスポーツと福音」を下さいました。
 新約の時代は、新約聖書がギリシャ語で書かれていますように、ギリシャ文化の影響を受けていました。ギリシャと言ったら、古代オリンピックのスポーツを思い起すことができますし、スポーツが盛んでした。こうした競技に関連したことをパウロも手紙の中で書いています。
 「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。」(Ⅰコリ9:24~)
 さて、今朝の聖書箇所であるヘブライ人への手紙にも「競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」とあります。当時、一般の人たちもスポーツに関心があったようです。そして今朝の箇所に何度も出てくる言葉があります。それは5節にある「鍛錬」です。調べてみると、7節、8節、11節と、短い中にも4回も出てくるのです。
 この言葉は「体育教師」と関係した言葉です。現代的に言うのなら、スポーツの専門職のコーチです。そしてこの言葉には肉体的な訓練を指導するというだけではなく、精神的な訓練や家庭での養育の意味もあります。ヘブライの手紙を書いたアポロは、ここでギリシャのスポーツ訓練と重ねて信仰のことを語っています。ここでのコーチは人ではありません。神様です。神様が指導して下さり、訓練を与えて下さっていると言いたいのです。聖書を良く見ますと、5節、6節は、カッコの中に入れられていますから、旧約聖書、箴言3章11、12節の引用です。そこには「 わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。 かわいい息子を懲らしめる父のように/主は愛する者を懲らしめられる」とあります。ここには、はっきりと神様の懲らしめがある、と言っています。霊の父なる神様が、あなたのことを、あなた以上に知っていて下さり、あなたのために懲らしめを与えておられる。それは神様があなたをしごいて、いじわるされているのではありません。そうではなく、その鍛錬であなたを育てようとされているのです。あなたのためにです。神様の名誉のためではなく、あなた自身の成長のためにされているのです。だから、この手紙を書いたアポロは言うのです。「鍛錬を軽んじるな。それは主の懲らしめだと。懲らしめられて、力を落とすな。それは神様から出ているのだ」と。
 最近、コーチによる体罰、つまり暴力行為が問題になりました。暴力だけではなく、暴言もあり、さらにネグレクトの問題もあります。コーチによる体罰の問題、「しごきという名の暴力」であり、そこには上下の支配関係しかなく、選手の成長にはつながりません。
 アポロは言うのです。あなたがたは、主の勧告を忘れてはいけない。
「主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。」
 そのように鍛錬はあなたの成長のためなのです。だから確かに言えます。主はあなたを愛しておられます。鍛錬を与えて、そしてすぐではないかもしれませんが、あなたに信仰による成長を与えて下さいます。懲らしめがあるからといって、あなたを見捨てておられるのではありません。否、むしろ、あなたを愛しておられるからこそ、あなたに関わって下さっているのです。
 鍛錬と言うのは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられたことによって、実を結ばせます。私もこの年になって、そうだったと思えることがたくさんあります。神様は、あなたを愛しておられる。だから、主の訓練を軽んじないように、否、むしろ祈り求めて、忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を見つめながら。あなたは愛されているのだから、イエス様を見つめながら、信仰の道を歩み抜こうではありませんか。
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by higacoch | 2013-07-27 14:27 | ヘブライ
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