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2011年4月24日

「悲しみは喜びへ」 イザヤ書53:1-12, ルカ福音書24:13-35

 私は、大震災の被害をテレビなどで見ながら、16年前に起こった阪神大震災を思い起こしていました。地震後45目日位に「心のケア」というボランティア活動に参加しました。丁度今頃の季節だったと思います。ある避難所の中学校に出かけ、教室を回り終えて校庭に出ましたが、そこにも青いテントで避難生活をされていた方々がおられました。私は一人の50代の男性がテントの入り口に立っておられたので、話しかけることにしました。その方の正面には、大半が黒こげでかなり壊れた体育館がありました。その壁面に外付けの時計が、なんと地震が起こった5時46分を指して止まっていました。その人のそばに行き「こんにちは。心のケアのネットワークから来た香月と申します。」と挨拶をしてから、その人と同じ方向を向きながら「あの時計、地震が起こった時ですね」と声をかけました。すると、その人は首を振って「ちがう」と言われるのです。「えっ」と思いました。それで「火事が出た時ですかね」と尋ねました。そうしたら、その時も同じように首を振って「ちがう」と言われました。二つとも違うと言われるので、どう話を切り出していったらいいのかわからずに、しばらく何も言わずに黙っていましたら、その人が一言「息子が死んだ時や」と言われました。目には涙があふれていました。私も事故で一人娘を無くしていますので、その人の悲しみが良くわかり、貰い泣きしました。 
 その人にとって5時46分は「地震が起きた」時でも「火事が出た」時でもない、「息子が死んだ」時なのです。私たちは1月17日は阪神大震災の日だと言います。そう覚えています。同様に今度の3・11は、東日本大震災の日だと記憶していきます。このように一般化した歴史の事実として覚えていくでしょう。しかし実際に悲しみに遭った人たちは、喪失した「人」、「家」などが心に刻みつけられます。それは共通したものと言うよりは、それぞれ違います。しかし、その人にとっての悲しみは悲しみ、比べようがないのです。どうすることもできない、その人にとっての悲しみです。だから、私は、悲しみは悲しんでいいと思います。周りから「悲しみに負けるな」とか、「早く忘れなさい」とか言うべきではないのではないか。私たちも人生で悲しいことに出会います。そのようなとき、悲しみを隠してみたり、なかったかのようなふりをしたり、酒、遊び、仕事等で紛らわそうとしない方がいいと思うのです。悲しい時は悲しんでいい。旧約聖書のコヘレトの言葉にも「人生には、泣く時があり」とあります。嬉しい時もあれば、悲しい時もあります。その時はその時として、そのような時を過ごしていいと思うのです。やせ我慢したり、強がったりしなくていいと思うのです。
 今朝与えられました聖書箇所に二人の弟子のことが記されています。彼らは最初、悲しみの道を歩んでいました。イエス様が亡くなってしまったことで望みを失い、失意の中にありました。しかし、その道はイエス様が共に歩んで下さったことで、だんだんといやされ、そして温まり、さらに心が燃えて、喜びへと変えられていきました。悲しみにさらに悲しみを重ねていったのではありません。悲しいことは本当に悲しいですが、その悲しみで終わらず、悲しみは喜びへと変えられていきました。イエス様の復活によって、ここに一つの出来事が起こっているのです。このことは私たちの人生においても言えることです。
 私たちの人生には必ず悲しい出来事が起こります。起こらない人はいません。悲しいことは起こる。その悲しみを悲しみつつ生きていったとしても、それは悲しみで終わらない。悲しみがさらに悲しみを増して、失意の中に沈んでいくことはないのです。悲しみは悲しみですが、その悲しみも喜びへと変えられるという希望が与えられているのです。なぜなら、イエス様は死んでしまわれたのではありません。それでおしまいとなったのではありません。死からよみがえられ、今も生きておられます。
 二人の弟子の悲しみは、すぐにはいやされませんでしたが、後になって共に歩んで下さった方がイエス様だと気づき喜びに変えられていきました。私たちの悲しみもすぐにはいやされないかもしれませんが、それは必ず癒され、そして気づかされるのです。「ああ、あの時、イエス様が一緒だった」と。そして喜びが与えられるのです。ですから私は伝えたいのです。今悲しみにある方は、ぜひイエス様を信じて頂きたい。あなたの救い主として、あなたを生かされる方として、信じて生きていって頂きたいのです。復活の出来事は、あなたの人生に悲しみがどんなに多く、またどんなに大きかったとしても、それがいやされないことはないことを顕わしています。伝道者パウロは復活の真理をこう言っています。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事を益となるように共に働く」。どんな悲しいことも辛いことも無駄にはされない。それどころか、それを益として下さると。
 私は、皆さんとこのようにイエス様の復活を喜び、礼拝を持つことができてとても嬉しく思っています。それは、天使たちが女性たちに告げた「イエス様は、生きておられる」と、私も皆様へ伝え、共に喜びに生かされていきたいと願っているからです。
 今年のレントは、本当に忘れられないレントとなりました。東日本大震災で、多くの方が今も悲しんでいます。未だかつてなかったほどの大きな悲しみがあります。私も手に入れた震災の特集号を読むたびに、涙がでます。しかし、この悲しみは悲しみで終わらない、この悲しみは、喜びへと変えられていくと信じています。このことを通して、このことによって与えられるであろう喜びがあると信じています。私も一人娘を突然に亡くし、深い悲しみを味わいました。しかし、その悲しみを通して与えられたものがあります。そして今生かされています。皆様も深い悲しみを味わられた方がおられると思います。しかし「イエス様は生きておられます」あなたにもイエス様は共に歩んで下さり、喜びを与えて下さいます。
by higacoch | 2011-04-25 16:16 | ルカ
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