「わたしの兄弟たちに」 詩編66:1-9、マタイ福音書28:1-10
イースター おめでとうございます。皆様と共に、イエス様の復活を覚えて礼拝を捧げることができ、心から感謝します。もっと聖書的に言うならば、主にある兄弟姉妹と一緒に、礼拝を捧げることができることを主に感謝しています。今朝の箇所は、イエス様が復活して婦人たちにメッセージを託した所です。イエス様は「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と託されました。そのすぐ前に天使も、婦人たちに弟子たちに復活を知らせるようにと託しています。しかし、ここで天使が二人のマリアたちに託したことと、イエス様が託したことは同じではありません。天使は「恐れることはない。急いで行って弟子たちに告げなさい」と告げました。一方、イエス様は「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに言いなさい。」と言われています。イエス様は「わたしの弟子たちに」と言われたのではなく、「わたしの兄弟たちに」と言われています。「弟子たちに」ではなく「兄弟たちに」です。この言葉に集中し、聞きたいのです。これは、もっと教会のことを考えて言い換えるなら、「わたしの兄弟、姉妹たちに」となるでしょう。そうです。イエス様は復活を知らせたかった、「わたしの兄弟、姉妹たちに」です。 私自身、イエス様も天使と同じように言われていると思い込んでいました。ですから、イエス様も「弟子たちに」告げるようにとおっしゃっていると無意識のうちに読んでいました。それが改めてじっくりと読んで驚かされました。それで、他の福音書を見てみましたら、ヨハネ福音書にも、イエス様がマグダラノのマリアに会って「わたしの兄弟たちに告げなさい」と言われています。 そこで、私は、イエス様が十字架にかかる前に、弟子たちをどう呼んでおられたのか、調べてみました。イエス様は弟子たちを「あなたがた、あなたがた」と呼ばれています。またイエス様が「兄弟」と呼ばれたこととの関連で言いますと、イエス様は以前、こんな説教をされました。「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆、兄弟なのだ。」と。また、こんなこともありました。明日十字架で殺されるという最後の夜、弟子たちと最後の晩餐をされた後に説教されました。その中で「 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」と。ここでは、「僕ではなく、友と呼ぶ」と言われています。僕は、主人に服従しなければなりません。主従関係があります。しかしイエス様は僕ではなく、友と呼ぶと言われました。友には上下関係はありません。並列の関係です。そしてイエス様自身、弟子たちに、あなたがたは先生と呼ばれてはいけない、とおっしゃっています。そのようにイエス様と弟子たちは先生と生徒の関係ではなくて、兄弟、姉妹の関係なのです。上下関係ではなく、共存関係であり、服従関係ではなく、互愛関係なのです。イエス様は、新しい掟だと言って、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と教えられました。このことを伝道者パウロは、ユダヤの律法とは区別して、キリストの律法だと言っています。「キリストにあって、互いに愛し合いなさい。」と。ここ東小金井教会の礼拝堂にも、このキリストによって与えられた新しい掟(彫られた壁掛け)が掲げられています。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:2 新改訳)と。イエス様は弟子たちを上から目線ではみておられません。「友と呼ぶ」とは、兄弟、姉妹と呼ぶ友だち目線ということでしょう。 イエス様は、死からよみがえって、生きていることを「わたしの兄弟に」告げて欲しかった、共に歩んだ友に、兄弟に伝えて欲しかったのです。「ガリラヤで会える」と。この「ガリラヤ」とは、どんな所でしょうか。そこは、イエス様が最初の伝道をされた場所であり、また兄弟たちを召された場所、兄弟と共に伝道に励まれた場所であります。「そこで、また会えるのだ」と。また伝道するのだ、兄弟であるあなたがたに会って、生きて働き、神の国の福音を伝えるのだと。ガリラヤは福音を伝える場所、そして神様の御業を見せて頂く場所であり、神をほめたたえる場所です。 では、私たちにとっての「ガリラヤ」とはどこなのでしょうか、ずっと遠いかけ離れた所でしょうか。そうではありません。ここ小金井市であります。あそことか、遠い地ではありません。ここであり、ここがわたしたちの「ガリラヤ」なのです。イエス様の復活を知らせ、主の救いの福音を知らせる所です。それは皆さんの生活の場であり、職場であったり、します。 私たちも、今も生きて働かれているイエス様に会うことができるでしょう。ガリラヤというこの小金井で、ですから、私たちもイエス様が死からよみがえって今も生きておられることを伝える者となりましょう。今年の教会標語に示されているように、「キリストを伝える」者でありたい。キリストにあって兄弟姉妹として、主に仕えていきましょう。
by higacoch
| 2012-04-14 14:05
| マタイ
|
カテゴリ
全体 創世記 出エジプト記 ルツ記 サムエル記 列王記 歴代誌 エズラ記 エステル記 ヨブ記 詩篇 イザヤ書 ミカ マタイ マルコ ルカ ヨハネ福音書 ローマ 使徒言行録 コリント ガラテヤ エフェソ フィリピ コロサイ テサロニケ テモテ フィレモン ヘブライ ヤコブ ペトロ ヨハネの手紙 ヨハネ黙示録 未分類 タグ
以前の記事
2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||