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2012年4月8日

 「わたしの兄弟たちに」  詩編66:1-9、マタイ福音書28:1-10 
                             
 イースター おめでとうございます。皆様と共に、イエス様の復活を覚えて礼拝を捧げることができ、心から感謝します。もっと聖書的に言うならば、主にある兄弟姉妹と一緒に、礼拝を捧げることができることを主に感謝しています。今朝の箇所は、イエス様が復活して婦人たちにメッセージを託した所です。イエス様は「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と託されました。そのすぐ前に天使も、婦人たちに弟子たちに復活を知らせるようにと託しています。しかし、ここで天使が二人のマリアたちに託したことと、イエス様が託したことは同じではありません。天使は「恐れることはない。急いで行って弟子たちに告げなさい」と告げました。一方、イエス様は「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに言いなさい。」と言われています。イエス様は「わたしの弟子たちに」と言われたのではなく、「わたしの兄弟たちに」と言われています。「弟子たちに」ではなく「兄弟たちに」です。この言葉に集中し、聞きたいのです。これは、もっと教会のことを考えて言い換えるなら、「わたしの兄弟、姉妹たちに」となるでしょう。そうです。イエス様は復活を知らせたかった、「わたしの兄弟、姉妹たちに」です。
 私自身、イエス様も天使と同じように言われていると思い込んでいました。ですから、イエス様も「弟子たちに」告げるようにとおっしゃっていると無意識のうちに読んでいました。それが改めてじっくりと読んで驚かされました。それで、他の福音書を見てみましたら、ヨハネ福音書にも、イエス様がマグダラノのマリアに会って「わたしの兄弟たちに告げなさい」と言われています。
 そこで、私は、イエス様が十字架にかかる前に、弟子たちをどう呼んでおられたのか、調べてみました。イエス様は弟子たちを「あなたがた、あなたがた」と呼ばれています。またイエス様が「兄弟」と呼ばれたこととの関連で言いますと、イエス様は以前、こんな説教をされました。「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆、兄弟なのだ。」と。また、こんなこともありました。明日十字架で殺されるという最後の夜、弟子たちと最後の晩餐をされた後に説教されました。その中で「 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」と。ここでは、「僕ではなく、友と呼ぶ」と言われています。僕は、主人に服従しなければなりません。主従関係があります。しかしイエス様は僕ではなく、友と呼ぶと言われました。友には上下関係はありません。並列の関係です。そしてイエス様自身、弟子たちに、あなたがたは先生と呼ばれてはいけない、とおっしゃっています。そのようにイエス様と弟子たちは先生と生徒の関係ではなくて、兄弟、姉妹の関係なのです。上下関係ではなく、共存関係であり、服従関係ではなく、互愛関係なのです。イエス様は、新しい掟だと言って、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と教えられました。このことを伝道者パウロは、ユダヤの律法とは区別して、キリストの律法だと言っています。「キリストにあって、互いに愛し合いなさい。」と。ここ東小金井教会の礼拝堂にも、このキリストによって与えられた新しい掟(彫られた壁掛け)が掲げられています。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:2 新改訳)と。イエス様は弟子たちを上から目線ではみておられません。「友と呼ぶ」とは、兄弟、姉妹と呼ぶ友だち目線ということでしょう。
 イエス様は、死からよみがえって、生きていることを「わたしの兄弟に」告げて欲しかった、共に歩んだ友に、兄弟に伝えて欲しかったのです。「ガリラヤで会える」と。この「ガリラヤ」とは、どんな所でしょうか。そこは、イエス様が最初の伝道をされた場所であり、また兄弟たちを召された場所、兄弟と共に伝道に励まれた場所であります。「そこで、また会えるのだ」と。また伝道するのだ、兄弟であるあなたがたに会って、生きて働き、神の国の福音を伝えるのだと。ガリラヤは福音を伝える場所、そして神様の御業を見せて頂く場所であり、神をほめたたえる場所です。
 では、私たちにとっての「ガリラヤ」とはどこなのでしょうか、ずっと遠いかけ離れた所でしょうか。そうではありません。ここ小金井市であります。あそことか、遠い地ではありません。ここであり、ここがわたしたちの「ガリラヤ」なのです。イエス様の復活を知らせ、主の救いの福音を知らせる所です。それは皆さんの生活の場であり、職場であったり、します。
 私たちも、今も生きて働かれているイエス様に会うことができるでしょう。ガリラヤというこの小金井で、ですから、私たちもイエス様が死からよみがえって今も生きておられることを伝える者となりましょう。今年の教会標語に示されているように、「キリストを伝える」者でありたい。キリストにあって兄弟姉妹として、主に仕えていきましょう。
by higacoch | 2012-04-14 14:05 | マタイ
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