「わたしのために」
イザヤ53:11-12、ルカ福音書22:31-34,54-62 私たちは自分のことは、良く知っていると思っていますが、案外、知らない部分があります。昔から自分を知ることは大切なことと考えられてきました。古代ギリシヤの有名な哲学者ソクラテスは「汝自身を知れ」と教えました。宗教改革者のカルヴァンは、「キリスト教綱要」の最初の所に神を知ることなしには、自分自身を知ることはできないと言います。これは自分自身を知るためには、どうしても神を知らなければならない、つまり自分を最も深く知るには、神様を知ることによってできると言うのです。 聖書を読みますと、イエス様に会って、イエス様と問答して、自分をより深く知らされた人物がたくさん記されています。ペトロもそうであります。 今朝の箇所で、ペトロはイエス様から「わたしは、あなたの信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われると、「主よ、ご一緒なら、牢に入っても、死んでもよいと覚悟しています」と言っています。ペトロは「あなたの信仰が無くならないように」という言葉を聞いて、自分の信仰は牢に入っても、死んでも無くならないと断言しています。「自分は強い。どんなことにあっても、あなたに従って行き、あなたを守ります」と言っているのです。 私は、イエス様がペトロに言われた「あなたのために祈った」という言葉をペトロはよく聞いていない、耳には入っていても、心に届いていないと思います。それよりは、むしろ、ペトロの方こそが、「わたしがあなたのために従う」という思いがあったと思うのです。並行箇所のヨハネ福音書では、「あなたのためなら、いのちを捨てます」(13:37)とペトロが言っています。ペトロの心の奥には「あなた(イエス様)のために」と言う思いが強かったのです。ですから、イエス様が言われた「あなたのために」は、ペトロの心には響いていなかっただろうと思えます。こうしたことは、私たちにも良くあることです。主の言葉を聞いているようで聞いていないと言うことがあります。自分の方が先に立ちます。 この後、イエス様が捕えられた時、ペトロは死んでもついていくどころか、イエス様を残して逃げ去ります。ですが、気になり、後をついて行きます。そして、大祭司の家でイエス様が審問を受けますが、ペトロは庭の中に入って、その様子を伺います。この時に、ペトロは問い詰められて、三度も「イエス様を知らない」と言って裏切るのです。彼が死んでも従うと言ったわずか5,6時間後でしょう。彼が三度知らないと言った時、イエス様が予告したように一番鳥が泣いたのです。 このペトロは、その後、イエス様から離れていったのでしょうか。そうではありません。聖書を読むとき、ペトロはキリスト教会のもっとも重要な、教会の礎となった人であります。そのペトロがここで典型的な不信仰の罪を犯しているという事実をはっきりと見ておかなければなりません。どうしてこれほどの不信仰の罪を犯しながら、教会の中心的な柱となっていったのでしょうか。後に、ペトロは、この重大な失敗にこりて二度と罪を犯さないと誓いを立てたでしょうか。そのようなことは一切、聖書に書いてありません。その謎を解いているのは、ただひとつ、それは、イエス様の「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った」です。イエス様が祈って下さったのです。それはいつの時なのかはっきりは解りませんが、確かにイエス様が信仰がなくならないように祈ってくださっていたということです。しかしペトロは、サタンに負けて罪を犯しました。まるで、主によって祈って頂いた事が、聞かれなかったかようです。しかし、事実はイエス様とペトロとの関わりは切れていませんでした。ですから、ペトロの信仰はペトロの真実によってではなくて、ペトロの不真実にも関わらず、ペトロの上に注がれていた主イエス様の真実によっていた、ということになります。これはまさに、イエス様が「ペトロのために祈っていて下さったことによっていた」と言うことです。 ペトロが三度目の拒否をした時、主イエス様は、振り向いてペトロを見つめられた。その時に、ペトロは主イエス様の言葉を思い出したのです。そして激しく泣きました。この振り向いてペトロを見つめられた主イエス様のまなざしを、その後の教会の多くの人々が心に留めてきました。(私たちの讃美歌21の「ああ、主のひとみ、まなざしよ」という歌、197番ですが、これは教会で良く歌われ、日本人に愛された讃美歌です。) ペトロがその三度の拒否をしなかったなら、彼はこれほどの深く自分の弱さ、罪を知ることが出来なかったでしょう。自分自身を知るということは、神様によって、より深く知らされますが、それは、自分の罪を知ると同時に、いかに自分が神様によって愛されているのかを知ることになります。そしてイエス様の「あなたのために」という祈りが、「わたしのために」為された祈りであり、イエス様の愛を深く知ることになるのです。「あなたのために信仰が無くならないように祈った」それは「わたしのため」であって、神様に愛され、支えられて生かされていることなのです。イエス様が、裏切るペトロのために、信仰が無くならないように祈られたように、私たちの為にも祈って下さり、生かして下さっているのです。そして、立ち直ったらなら、兄弟姉妹を力づけることができるように、送り出して下さっているのです。
by higacoch
| 2011-07-04 17:35
| ルカ
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