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2011年10月2日

 「主イエス・キリストを誇れ」 エレミヤ9:22-23、コリント一1:26-31

 パウロはイエス・キリストの伝道者となって、伝道旅行をし、ここコリントにも一年半滞在してキリストの福音を伝えました。彼がこの町にやってきた時、ある決心をしていました。それは十字架につけられたキリストだけを伝えることでした。キリストだけを集中して伝えていった時、救われる人が起こされ、教会が立てられていきました。しかし、パウロが次の町に出かけていった後に、教会には新たな問題が生じていました。教会内に4つのグループができ内紛するようになってしまいました。そこでパウロは早速、手紙を書いたのです。
 「あなたがたが召された時のことを思い起こして欲しい。」とあります。当時、人間の価値として、知恵がある、権力がある、貴族出身であること等が考えられていました。ですから、いかに自分は知恵ある者、権力ある者、また由緒ある名家の出身なのかが人間の誇りとして考えられていたのです。それらをもって自分を誇っていました。
 パウロは言うのです。あなた方が召されたことを、これは救われたことと同じですから、「あなた方が救われた時のことを思い起こしてみなさい」と言っているのです。知恵ある者がその知恵によって救われたのではありません。また権力のある者がその力によって救われたのでもありません。また由緒ある出身である者がその家柄で救われたのでもありません。あなた方が召された時、人間の知恵や権力や家柄が、救いに役に立ったとか、救いの根拠になったというのではないのです、と言っています。
 神様は、自分を誇ろうとする、知恵ある者、権力ある者に、恥をかかせるために、世の中の無学な者、無力な者を選ばれました。それは神様の御心だったのです。また家柄や地位を誇りとする者を無力な者にするために、世の中で無価値と言われているような者、身分の卑しい者や人々から見下げられている者たちをあえて選ばれたのです。そこに神の知恵があり、神の御心があったのです。救いは人間の知恵、権力、家柄によってではなく、ただ神によってのみ、あなた方がキリストに結ばれるためだったのです。そして、誰も神様の前に誇ることがないようにするためだったのです。
 ひょっとしたら、教会内で、私はパウロにつく、アポロにつく、ケファにつくと争っていたということは、誰が、知恵ある者であるのか、力ある者であるのか、家柄はどうなのかとかが、論じられていたかも知れません。パウロに、アポロに、ケファにといいながら、そうした人間的な誇りを見て、言い争いが起こっていたのではなかったか。そうしたことで人間の価値が計られていたのかもしれません。だから、人の知恵や権力や家柄が教会内に幅を利かせることが起こってはならないと願い、神様があなた方を召された時のことを思い起こすように言ったのかもしれません。召しの原点、救いの原点、それは神様の選びです。決して、人間的な誇りと考えられた知恵、権力、家柄ではないのです。
 ここで「誇る」と訳されている言葉は、また「喜び」とも訳せます。人は自分のことで誇りを持ち喜びますが、パウロは自分を誇りとするのではなく、「主を誇る」これは「主を喜ぶ」と言っています。パウロは、ここで傲慢になるな、自分を誇るのではなく、謙遜になれと言っているのではありません。そうではなく、あなた方が召された時のことを思い起こしてみなさいと言いつつ、召された根拠はあなたがたが誇りとしているようなものによって与えられたのではないと言っているのです。
 わたしたちは、自分を誇るのではない。私たちを召し、救ってくださった方、主イエス・キリストを誇るのです。イエス・キリストは、すべての人のために死んで下さったのです。まだキリストを知らない人のためにも死んで下さった方であり、復活の命を約束してくださったのです。そして、今も生きて働いて下さっています。主イエス・キリストを誇って生きて行く。そこにこそ、召された者が、召された時のことを思い起こして生きる歩みがあるのです。パウロは、教会が内紛している原因の中に、教会員が神に召されたことの恵み、神からの一方的な救いの恵みを忘れかけていると考えていたのでしょう。だから、あなた方が召された時のことを思い起こしてほしいと願ったのです。キリストに召され、救われていることから、主イエス・キリストの救いの恵みを覚えて、主を誇れ、主を喜べというのです。そのことがキリストの十字架を空しくしない歩みなのだと。
 ウエストミンスター信仰問答の第一の問答は、こうです。
 問 人生の主なる目的は何ですか。
 答え 人生の主な目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです。
 これは神を誇りとして生きることでもあります。私たちも罪深い者でありましたが、主イエス・キリストが私たちを愛し、十字架上で死んで下さり、私たちの罪を赦して、私たちを救ってくださいました。そのキリストの救いを思い起こし、主イエス・キリストを誇りとして、主を喜ぶ歩みをしていきましょう。

    
by higacoch | 2011-10-04 16:05 | コリント
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