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2010年1月24日

「他者のための教会」  箴言4:14-19、マタイ福音書5:13-16

 塩は私たちの生活上、なくてはならないもの。調味料、防腐剤、肥料、そして消毒として用いられます。調味料としては毎日、使われます。ユダヤの国においても身近なものでした。そんな塩をもってイエス様は語られました。「あなたがたは、地の塩である」と。ここで「地の塩となりなさい」とか、「地の塩とならなければならない」と命じられたのではありません。そうではなく、「地の塩である」と言われているのです。ここの「地」とは、この世界、人の世と考えていいでしょう。ですから、あなたがたはこの世界にはなくてはならない塩なのだと宣言されています。またイエス様は、「あなたがたは世の光である」とも言われました。これもあなたがたは良い行いをして光を輝かせ、「世の光となりなさい」ではありません。すでにもう世の光なのです。
 イエス様は、生活の身近にあるものに譬えながら教えられました。塩の働きや光の働きがあなたがたにはあるということ。塩の働きは内なる働きであり、もし料理に塩をたっぷり入れたのなら、その料理は台無しになります。塩は隠し味のようなもので、素材を引き立てる働きをし、料理を美味しくしてくれます。こうしたことを人への奉仕で考えてみますと、隣人が引き立つように、その人が喜び、生きる希望をもつことができるように、その人に仕えることだと思うのです。他方、光はどうでしょうか。光は隠れていては、その光は無駄になります。光は表で用いられるもので、周りを照らします。灯は燭台に、周りを照らすように置かなければなりません。こうして考えてみますと、光の働きは周りを明るくする働きであり、このことは神様を証しすることであります。それはイエス様の救いの福音を証しして生きることなのです。
 イエス様は、「あなたがたは、地の塩である」「あなたがたは、世の光である」と言われました。ここでは「あなたは」と言われていません。誰かに向かった言われた言葉ではありません。「あなたがた」であります。それは弟子たちに向かって言われた言葉であり、イエス様を信じる者たち、つまり教会に対して言われた言葉であります。ですから、教会は地の塩、世の光である。そうした働きが教会に与えられ、求められているということです。それは塩の働きがそうであるように、教会は、教会員の方々以外の人たちに仕えていくように召されているのです。光が周りを照らすように、イエス様の救いを知らせるように求められているのです。教会は自分たちのために存在しているのではありません。神様に愛された者として、地の塩、世の光として、今、存在しているのです。
by higacoch | 2010-01-31 22:00 | マタイ
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