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2009年9月27日

「私たちの国籍は天にあり」   ヨブ記1:21, フィリピの信徒へ手紙3:20-21

 本日は召天者記念礼拝です。今年私たちの教会では二人の方を天に送りました。今朝は過ぐる日に天に召された方々を覚え、その方の命を与え、その生を導き、天に召してくださった神をほめたたえます。
 今朝のヨブ記に「主は与え、主は奪う」とあります。主とは神様のこと、何を与え、取られたかと言いますと、勿論命であります。ここで解ることは私たちの誕生と死とは、神様によっているということです。生と死は神様の関わりの中での出来事であるのです。
 また「主が与え、主が取られる」(口語訳)というのです。そしてその前に「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」とも。裸とは、何もなく、体のままで生まれ、体のままで帰る、これが命の誕生の始まりであり、死ぬ際の様です。私たちはいろいろなものを持って生まれたわけではなく、いろいろなものをもって死んでいくのでもありません。裸で生まれ、裸で帰るのです。特に今朝は「裸で、そこに帰ろう」という「そこに」とは、どこなのかに注目したいのです。「そこ」とは私たちには解りえない暗闇なのでしょうか、そうではありません。その答えは今朝の新約聖書の言葉であり、今朝の説教題でもあります。それは天であり、神の許とも言い換えても良いでしょう。ですから「そこに帰る」とは、神の許に帰るということです。新約聖書にはこうあります。「わたしたちの本国は天にあります」と。ぜひ、今日来られた方々が、このことを覚えて帰って頂きたい。「私たちの国籍は、天にあり。」先に天に召された方々を私たちは覚え、偲びます。地上で共に歩んだ生活があり、その想い出があります。しかし私は、先に天に召された方々について、「天に行かれた」と言っていません、自分でそこにいくのではありません。それは先程からお話ししていますように、死という出来事は神様による出来事でありますから、神様によって天に召されるのです。
 私は先週、日本でホスピスケアを最初に始められた柏木哲夫氏の「良き生と良き死」という本を読みました。柏木氏はホスピス病院の医師で、これまでに約2500名の方々を看取り、その死に立ち会われました。多くの患者さんの死に接して、本当に「良き死」を迎えるためには、「良き生」を生きる必要があるというのです。「良き生」は「良き死」につながるもの、「良き生」とはやはり私たちは「神様によって生かされている」ということを徹底的に意識して生きる、その一言に尽きるのではないかと思いますとまとめられています。このことを考えますと、神が命を与え、命を取られることを受け止めることができるのなら、本当に幸いだと言えるのです。
 私たちは、神によって命が与えられ、生かされていることをしっかりと覚えていきましょう。神様を信じ、イエス・キリストの愛を受け止めて、信仰の道を歩んでいきましょう。ぜひ、皆さんもその歩みをして、今生かされている命を生きていって頂きたい。先に天に召された方々は、帰るべき所、私たちの国籍である天に帰られ、今は神様によって平安を頂き、憩われていることを信じます。
by higacoch | 2009-09-28 15:04 | フィリピ
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