2008年7月6日

「 神への賛美 」   歴代誌上29:10-13  ローマ15:7-13  香月 茂 牧師

 私たちが祈る「主の祈り」の最後の言葉「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり」を学びます。この頌栄の言葉はイエス様が祈るようにと教えられたものではありませんが、教会はずっとこの言葉をも加えて祈ってきました。教会の歴史の最初から、ずっと祈られてきています。教会古文書「ディダケー」(十二使徒の教訓)の中に「主の祈り」の最後の部分でこのように祈るようにと記されているのです。この文書は1世紀前にまとめられたものであると言われていますが、古代のある神学者がこの文書を新約聖書の中に加えるべきだと言った程、重要なものでした。それほど早くから、重要で欠くことのできないと考えていたのです。この頌栄の言葉は、当時の教会が創作したものではなく、歴代誌上の29章10節~13節、ダビデの祈りから取られたものだと言われています。

 イエス様は宣教の始めに「天国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と説教されました。それから、村々町々を巡り歩き、福音をのべ伝え、神の国の説教をし、大いなる神の力と神の栄光を現されました。人々はイエス様の奇跡と権威ある教えに驚嘆し、恐れました。そしてそれだけではなく、イエス様はほぼ3年間福音宣教の後に都エルサレムに来られ、命を捧げて、私たちの罪を赦し、私たちを救って下さいました。私たちの身代わりとなって苦しみ、命を献げても私たちを愛して下さった十字架の死の出来事、そして、その死からの復活を通して、神様の勝利を現して下さいました。
このことを知った弟子たちは、主が教えて下さった祈りを、どうしても「悪より救い出したまえ」で終えることができませんでした。教会は主イエス様がなして下さった救いの御業を深く受け止めた時に、信仰の表明として、御名をほめたたえずにはおれなかったのです。

 イエス様が開いて下さった御国、それは地上に現されましたが、それは未だ完成はしていません。その「未だ」の時において、主の祈りを祈るのは、主イエス様が再びこの地上に臨まれて御国を完成させて下さることを望み見ながら、祈っているのです。祈りつつ生きるのです。これは私たちの祈りであると同時に教会の祈りであり、神をほめたたえて、神を賛美して祈る祈りなのです。
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# by higacoch | 2008-07-06 21:00 | 歴代誌