カテゴリ:使徒言行録( 31 )

2016年10月16日

「あなたは主イエスに愛されている人」 
        ヨシュア 1:5~9、使徒言行録 18:9~17
                           石塚 惠司 牧師

 ブラジルに住んだ13年間、そこで私は素晴らしい主イエスの約束を見せていただきました。その事を今朝お話しします。
 主イエスはパウロに語りました。「この町には、わたしの民が大勢いる」。やがてその約束通り、コリント教会が生まれました。同様に1960年に始まったブラジル東北部の日本人植民地の小さな家庭集会が今、ブラジル人も集う教会になりました。主イエスがパウロに「この町には、わたしの民が大勢いる」と語られた約束をわたしはブラジルの地で見せていただきました。「主イエスは生きて働きこの村、この教会を愛しておられる」。これが13年間ブラジルで生きてきて学んだことです。主はどのようにコリントの町、そしてジョタカの地に住む人々を愛されたのでしょう。

 第一に、主イエスは人を派遣される。コリントの教会に派遣されたのがパウロ。彼はアテネからコリントに移りました。丁度その頃、コリントにやってきたユダヤ人夫婦、テント造りのアキラとプリスキラがいました。パウロは彼らの協力を得て、共に住みコリント伝道を開始しました。同様にジョタカの日本人入植地には日本から唯一のクリスチャン家族の佐々木兄家族五人が送られました。そしてサンパウロから牧師たちにより福音が伝えられ、洗礼が授けられました。そして日本中会の方々に祈られ、日本中会の方々の支援によって私たち夫婦が派遣されました。そしてさらに2016年1月からブラジル人のカルロス牧師夫妻がジョタカの教会に送られました。そしてなんと2017年からジェイコブ宣教師夫妻がアメリカのカンバーランド長老教会から派遣されます。このように主は町の人々を愛するため、そして主の民を呼び出すため、人を派遣されるのです。

 第二に、「神の言葉」によって主イエスは約束を見せてくださる。「パウロは1年6ヶ月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教え」(11節)ました。神の民を見つけ出し、呼び出すためにパウロはコリントの町の人の心に届く言語(町の人が普段使うことば)によってイエス・キリストを伝えました。人は言葉で物事を理解し、そして心で感じ、意思決定します。神はなんでも出来る方です。直接コリントの人に語ることも出来たはずです。驚くべき不思議な業により当時のコリントで信じられていた神々よりも優れていることを示すことも出来たでしょう。しかし神は人を遣わし、その人の口から出る言葉によって神の民を見出す方法を選択されたのでした。注目すべきことは神の言葉が伝えられ「この町にはわたしの民が大勢いる」という主イエスの約束はコリントで見事に実現したことです。今、ジョタカの教会は日本人よりブラジル人、つまり日本語ではなくポルトガル語を使う人が多くなりました。そこで神はポルトガル語で神の言葉が伝えられるように、とポルトガル語を話すカルロス牧師をジョタカの教会に送ってくださいました。今ジョタカの教会の歩みを思うと次の言葉の通りだと思わずにおれません。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」(コヘレトの言葉3章11節)。神は教会の人々をよく見ておられ、そこに住む人々が理解できる言葉で福音が語る牧師を派遣する道をつくってくださいました。

 第三に、主イエスはクリスチャンだけでなく一般市民を用いられる。パウロはユダヤ人の激しい反対に遭いました(12節以下)。パウロを救ったのはアカイア州の地方総督、ガリオンでした。ユダヤ人がパウロを捕らえ、法廷に連れていきました。しかしガリオンは、パウロは法に触れることなどしていない、とはっきり語りユダヤ人のパウロに対する策略を一蹴しました。こうして神はユダヤ人からの迫害からパウロを守るため、裁判を司るローマ人を用いたのです。神はすべての人を愛しておられます。そしてすべての人を用いられるのです。それはブラジル、ジョタカの教会でも同じでした。1995年、1996年の礼拝堂建設の時、多くの人手を必要とする時、ジョタカ入植地の日本人の方々が助けてくださいました。天理教、生長の家、創価学会など異なる宗教の方が礼拝堂建設の際、屋根の木材を持ち上げる重労働の時手助けしてくださいました。神はあらゆる人をお用いになり神の民を探し出す福音宣教の働きを導き、教会を守られるのです。

 主イエスは約束の声が今日もブラジル、ジョタカに響いています。そして主イエスの約束はこの東小金井の町、そしてこの教会にも高らかに響いています。「この町にはわたしの民が大勢いる!」。主の約束はいつの時代でも変わりません。主はあなたを選ばれました。それは主があなたを愛しておられるからです。私たちは主イエスのみ手の中に生きています。
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by higacoch | 2016-10-22 19:48 | 使徒言行録

2016年5月15日

 「神の霊が注がれる」 ヨエル書2:27-3:2、使徒言行録2:1-11
                                     香月 茂 牧師

 ペンテコステは教会の誕生日です。私は、今日の説教題を「神の霊が注がれる」としました。「神の霊が注がれた」とはしたくありませんでした。ペンテコステを今から2千年ほど前の出来事、教会の誕生日、それはずっと前の過去の出来事、それだけと受け止めて欲しくなかったのです。聖霊が「注がれた」と過去の出来事としてではなく、「注がれる」と現在進行形で理解して頂きたいのです。聖霊の働きを過去のことしてではなく、今も続いていると受け止めて欲しかったのです。現にそうだからです
 聖霊が注がれるということはどういうことなのかと考えてみたいのです。神が聖霊を注がれ、注がれた弟子たちはどう変わったのか、そこに注目してみましょう。弟子たちは注がれる前と後では、違います。大きく変わりました。以前は、人々の前で語ることはありませんでしたが、聖霊を注がれると、弟子たちは大胆に語るようになりました。「神は、イエスを死の床から復活させたのだ」と、キリストの福音を語りました。その福音が、聞いた者たちの心の奥までにしみこんでいき、彼らの心を動かしたのです。そして「自分たちは、どうしたら、いいのでしょうか。」弟子たちに聞いてきました。そこでペトロは、「キリストの名によって洗礼を受けなさい。」と勧め、彼らは、それを受け入れて、進んで洗礼を受けました。その数は6000人ほどであったとあります。こうして信仰者が与えられて、その結果、教会が誕生したのです。
 話は変わりますが、先週の日曜日の礼拝後に、5月生まれの方々をお祝いする誕生日会を行いました。そうした誕生日会で、私は、誕生日を迎えた時の感想を、ある出来事を体験して、変えられたことを何度もお話ししています。それは、悲しい出来事でした。私は妻と結婚し、翌年に長女が与えられました。その長女が2歳の誕生日を迎える1ヶ月前に突然、亡くなりました。特別伝道集会に来られたよその教会員の方が、お土産にピーナッツを持って来られました。その4日後に、娘は小さな手にピーナッツを持って、それを食べ、喉に詰まらせ窒息しました。一人娘の死は私たち夫婦にとって耐えがたい悲しみでした。泣いて日々を過ごしました。そんな悲しみの中で、長男が与えられて育ち、そして2歳の誕生日を迎えた時、本当に言いつくせないほどに嬉しかったのです。これは言い合わせたわけではありませんが、妻も心から神様に感謝しました。何しろ、娘が2歳になる1ヶ月前に亡くなったからです。ですから長男が2歳の誕生日を迎えた時、「ああ、神様、長男を2歳まで生かしてくださり、ありがとうございます。」と深く感謝を捧げました。そして、こうした体験を通して、私も変えられました。翌年2月に、私の誕生日(38歳)を迎えました。これまでは、「○○歳の誕生日、おめでとう」と言われても、てれなどもあって、さほど特別な思いを持ったりしませんでした。しかし、この時から「神様は、私を38年間、生かしてくださった。38年間も守り、支えて、生かしてくださり、本当に、ありがとうございます。」と思うようになりました。こうした経験から、教会で行う月の誕生日会の時に、「誕生日で何歳になったなら、その年齢の数は生かされて年数ですよ。」と言うようになりました。ただ「何年生きたではなく、生かされた年数なのだ。」と。
 今日はペンテコステ、この日は教会の誕生日です。私たち一人一人がそうであるように、教会も2千年近く生かされてきたと言えます。そして私は「聖霊が注がれた」と言わないと言いました。「聖霊が注がれた」と言って、教会の誕生を2千年前の過去の出来事として受け止めたくないからです。聖霊が注がれるという出来事は、決して過去の出来事ではなく、現在進行形です。聖霊が注がれる、今日も注がれているし、これからも注がれていきます。そのことを、私は、現に見ています。聖霊が注がれることによって教会が生まれたように、今も教会が生み出されているからです。教会が生み出されているのですから、そこに聖霊が注がれている確かな証拠があります。ここ東小金井教会も今年も7月26日を迎えると、52年目の誕生日を迎えます。52年前に教会が誕生したのではなく、52年間も神様から守られて、教会が生かされていると受け止めていきたいのです。その間も、信仰を告白する方が途切れることなく与えられていることは、聖霊がその方々に注がれているということです。信仰者が起こされるところには、人間の業がなされているのではなく、聖霊の業が為されているのです。教会に聖霊が注がれて祝福されているのです。
 私たちもこれからも聖霊を求めて歩んでいきましょう。
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by higacoch | 2016-05-21 17:59 | 使徒言行録

2016年4月3日

「復活の証人」 イザヤ書65:17-25、使徒言行録13:26-32
                                        香月 茂 牧師

 主イエス様の弟子たちは、復活したイエス様にお会いできた後、すぐに伝道したわけではありません。出会っただけで、イエス様の復活を大胆に宣べ伝えて、復活の証人になったのではありません。復活を知ったので人々に伝道したのではないのです。その点を注意しながら聖書をもう少し、丁寧に読んでいきましょう。
 今朝与えられた使徒言行録は、ルカ福音書を書いたルカが書いたと言われています。この二つは続き物で、第一部がルカ福音書、第二部が使徒言行録だと言われています。ですからルカ福音書の最後の章は、使徒言行録の1章と重ねて書かれています。復活したイエス様が弟子たちの所に現れて声をかけ、手や足の傷口を見せられていますが、それでもまだ弟子たちはイエス様の復活を信じられずにいました。そこで、イエス様は焼き魚を食べて見せられ、弟子たちの心の目を開かれてから、「あなたがたは、これら(十字架の死と復活の出来事)の証人となる」と言われました。その後、天に昇られました。そこで、ルカ福音書は終わり、その続きが使徒言行録の第1章にあります。イエス様は、復活した体を弟子たちに現された日から40日にわたって、その体を示し、神の国について語られました。その後にイエス様は、聖霊の約束を与えて「あなたがたは、わたしの証人となる」と言われています。注意したいのは、イエス様は、復活した体を示してからすぐに「あなたかたは、証人になった」と言われていません。「なった」ではなく「なる」と言われました。これは、復活の体を現されたその時ではなく、その後、将来弟子たちが復活の証人と「なる」と云うことです。復活したイエス様を知っただけでは復活の証人に成り得ませんでした。知っただけでは不十分でした。では、何が必要だったのでしょうか。それは神の霊、聖霊だったのです。聖霊の力によって、弟子たちが「知る」ことから「信じる」となることが必要だったのです。
 今朝の使徒言行録の6章には、イエス様の復活が、ある日突然に起こったと云うのではなく、長い歴史の中で預言者たちによって預言されてきたと書かれています。そして最後にイエス様が神様から遣わされてきました。すると、それまでと同じ様にユダヤの指導者たちは、イエス様を捕え、苦しみを与え、ついには十字架の上で殺害しました。それがまた不思議なことですが、この出来事によって、預言が成就したのです。しかもイエス様の死ですべてが終わったのではありません。神様がイエス様を死者の中から復活させてくださいました。救いの出来事の約束が、イエス様の死と復活によって成就したのです。神様は、ずっと以前から人間を救おうと願い、計画し、実現してくださいました。ですから、イエス様の復活は、神様の愛の集大成なのです。
 最後に、主イエス様の弟子たちが復活の証人となったことを深く受け止めたいのです。彼らは、復活したイエス様と何度も会い、その姿を見ていながら、それだけでは、復活の証人となれませんでした。その後、弟子たちが聖霊を頂くことによって、復活の証人となることができました。これはイエス様が神様によって復活させられたように、彼らも神様の霊によって復活させられたと言えるのではないでしょうか。イエス様の十字架の死後、彼らは希望を失い、絶望の中で死んだも同然でした。そんな弟子たちが、イエス様の復活後、さらに聖霊を頂いて力を得、起き上がりました。以前はユダヤ人を恐れて部屋に閉じこもっていたのですが、今やユダヤ人を恐れず、大胆にイエス様の十字架の死と復活を宣べ伝えるようになったのです。これはまさに、弟子たちの復活体験と言えるでしょう。神様は人の知識や知恵だけでは、復活を深く知ることができないことをご存知でした。だから、弟子たちに聖霊を注いで、力を与えられました。それは、まさに復活を信じる力であって、彼らをイエス様の復活の証人としていきました。彼らは、死から新しい命に生かされて、ユダヤの人々に説教しました。
 主の弟子たちも伝道者パウロも、イエス様の復活の証人とされたように、私たちもそうされているのです。わたしたちも神様から聖霊を頂いているのですから、復活の証人として歩み、まだイエス様の救いを知らない人たちに、復活され、今も生きておられるイエス様を伝えていきましょう。
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by higacoch | 2016-04-09 18:18 | 使徒言行録

2016年3月6日

「本当のことが解る」  イザヤ書30:8-17、使徒言行録12:1-17
                               
 私はこれまで天使を見たことがありません。天使の存在を人に「ほら、あそこに天使がいる」と言って示して証明することができません。しかし天使の存在を全面的に否定はしません。どちらかと言いますと信じています。そんな思いで説教の準備をしていましたら、土曜日の朝日新聞の折り込みBE版に「霊の存在を信じますか」というアンケート調査の結果が大きく載っていました。それによると、現代人は「信じる」が49%、「信じない」が51%と半々でした。私は霊の存在を信じている方に入ります。
 さて、今朝、与えられた箇所から学びましょう。ここには天使の働きが記してあります。ヘロデ王が教会の人々に迫害の手を伸ばして、イエス様の弟子であったヤコブを殺害しました(1節)。次にヘロデ王が命を狙ったのはペトロでした。彼を殺そうと捕えて牢に投げ込み、過越祭の後で人々の前で殺そうと計画しました。信仰者たちはペトロの命が取られないように必死に祈りました。
 ヘロデ王がペトロを明日殺すという前夜には、監視はさらに強化され、絶対に逃げられないようにしました。その夜、天使が現れて牢屋を照らし、中に入ってきて、ペトロのわき腹をつついて起こしました。すると、ペトロを拘束していた鎖が外れ、天使はペトロに帯、履物と上着をと身支度させ、「わたしについて来なさい」と命じました。ついて行くと、幾つかの監視所を番兵に気づかれずに通過し、ついには町に通じる鉄の門が開き、町の通りに出ることができました。すると、今まで誘導してくれた天使が目の前から消えてしまいました。ある人は、この個所は文学的な表現がなされていると言い、天使は「誰なのか」と推測する人がいます。しかし私は推理はしません。私は天使の働きと信じています。
 ペトロが危険からのがれて、町の中に入った時、ペトロは我に返って「今、初めて本当のことが解った」と語りました。ここでペトロが語った「本当のこと」とは何でしょうか。一言で言うのなら「神様が生きていて、助け出してくださったこと」だと思います。別の言い方をするなら「神様の真実が解った」と言うことです。それは「自分は助けられて、ここにいるというのがまさに、神様の御旨である」と確信したことでしょう。ここで我に返ったというのは、ただ意識が戻ったというだけではなく、自分の使命が解ったということでもあったと思います。
 今朝の箇所、ペトロの覚醒から「本当のこと」が教えられます。それは、「神が生きて働いてくださったこと」です。当時のヘロデ王は強固な権力を持ち、絶対的な力を誇っていました。そんな中で信仰者たちは、本当に力のない弱い人たちでした。しかし、そのような弱小集団のキリスト者たちは、皆で集まって、神に祈っています。ペトロが殺されることはない、そしてペトロが助け出されると信じて祈っていたのです。彼らは祈りの共同体であり、どんなに苦しめられても、神を信じて生きてきたのです。神はその祈りを聞き、不思議なことですが、天使をつかわして、ペトロの脱出を成し遂げてくださいました。そして獄に閉じ込められていたペトロ自身の目が覚めるようにしてくださったのです。そしてペトロ自身の口を通して、「いま、初めて本当のことが解った」と語らしめました。あえて言うなら、ペトロ自身も、神様の働きを100%は信じていなかったということなのです。ペトロ自身が、命の危険を味わい、そこから助けられた時に、「今」深く確信したのです。「神様の働きが分かった」と。
 また、ペトロのために祈っていた者たちも、祈りながらも半信半疑だったのでしょう。ペトロがやってきた時、彼らは女中の言葉を信用しませんでしたし、またペトロの天使だろうと言っているのですから。彼らもペトロとそう変わりませんでした。こうしたことは、私たちにも起ることなのです。そのような時、私たちの信仰が問われます。だから、もう一度、この聖書箇所を通して、神は生きて働かれておられ、私たちの祈りは聞かれていると信じましょう。神様の御心に適った祈りをきいていてくださること、これは本当のことだと。もしも願ったことが叶えられない時は、神様が私たちの祈りを聞いておられないのではなく、今はその時ではないと示されておられるのです。ただ「本当のこと」は、神様は確かに私たちによいものを与えてくださいます。
 神様を信じていく時「本当のこと」―神様は今も働けれているということが解るのです。このように信じる者を導いてくださっています。今も、あなたを生かして用いてくださっていることがはっきり解るのです。
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by higacoch | 2016-03-12 16:58 | 使徒言行録

2015年11月15日

「神様からの慰め」 詩編77:17-21、使徒言行録3:11-20
 
 人生には、どうしてこのような悲しみがあるのかと苦しむような悲しみがあります。仏教用語に愛別離苦(あいべつりく)という言葉があります。人生で出会った者との別れは、必ずあるということです。友人との別れ、失恋しての別れ、そして最も深い意味として死別があります。愛する者、親、親友、わが子を亡くす悲しみがあり、それによってどうしても立ち直れない人がいたりします。精神的に弱って心の病気を抱えてしまい、周りからいろんな励ましを受けても立ち上がれない人がいます。
 イエス様も弟子たちと死別しなければならない直前に、「しばらくすると、あなたがたは、わたしを見なくなる」と言われました。それを聞いた弟子たちは、どこに行かれるのだろうかと不安にかられました。しかしイエス様は「わたしを見なくなる、別れる」とだけ言われたわけではありません。「見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」とも言われました。そうしたイエス様の言葉に、弟子たちは心配し、論じ合いました。それを知ったイエス様が「はっきりと言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆にくれ、あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。今、あなたがたは悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。」と言われました。これは十字架の死と復活、そして弟子たちの前に再び現れるということです。(ヨハネ福音書16章参照)
 今朝、与えられました聖書箇所は、イエス様が復活されてから50日は経ったある日の出来事です。弟子のリーダー格であったペトロとヨハネとが、いつものように3時の祈りの時に、神殿で祈るために出かけました。すると、神殿の境内に入る門の手前で、一人の足の不自由な人がいて、ペトロとヨハネに向かって「どうか、お恵みください」と物乞いしました。すると、ペトロが「わたしには、あなたに差し上げる金貨も銀貨も持っていません。何も持っていません。しかし、私が持っているのがあります。それをさし上げましょう。」と言ってから「イエス・キリストの名によって、立ちあがり、歩きなさい。」と語りました。すると、どうでしょう。その言葉には力があり、その人はその場で立ちあがり、歩き始めました。そして自分が歩けるのを確認するかのように、その場を歩き回り、飛んだり、跳ねたりして喜び踊り、神様、ありがとう、ありがとうと歌って、ペトロらと一緒に境内に入っていきました。今日の箇所はその続きです。彼をよく知っていた人々が、彼を見て非常に驚いて、大勢の人々が集まってきました。それらの人々を見てペトロが説教しました。ペトロにとっては二度目の説教です。(一度目は、聖霊が与えられて説教したペンテコステの出来事です。)ペトロは「皆さん、以前歩けなかったこの人が歩けるようになったのは、わたしの力でも、誰の信心によってでもありません。それはイエス・キリストの名によるものです。イエス・キリストの力によるものです。」と大胆に語りました。「この方の力は偉大です。あなたがたが、このイエス様を十字架で殺してしまったことは、あなたがたの指導者たちと同じで、知らなかったからです。神様は、預言者たちの口を通して預言し、それを実現してくださいました。その預言には、メシアは人々に苦しめられ、そして人々の罪を知り、それをあえて担って、そして殺されていく(イザヤ書53章参照)とありました。だから、神様の前で罪を悔い改めて、神様のところに立ち返りなさい。」と語りました。
 ペトロは、イエス様から教えられた「悲しみは、喜びに変わる」と言うことをまさに体験したのです。イエス様の死で深く悲しみ、明日への希望を失い、途方にくれ、部屋に閉じこもり、―今なら、引き籠りといえるでしょうーになってしまいました。もう自分では、どうしようもない状況となってしまった時に、イエス様の方が引き籠っていたその部屋に入ってきてくださり、「あなたに平安があるように」と語り掛けてくださいました。ペトロにとって、何と喜びに満ち、希望を与えられたことだったでしょうか。ペトロは、イエス様からこの喜び、平安、慰めを頂きました。そのことを語って、イエス様による救いを説教しました。こうした慰めを伝道者パウロも良く語っています。(Ⅱコリント3-6参照)
 神様は救いをわたしたちに与えてくださり、同時に、慰めをも与えて下さています。このことを覚えたいのです。そして、どのような悲しみも慰められることがないものはありません。それは死別であっても、です。復活を通して、再会が与えられているからです。
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by higacoch | 2015-11-21 16:32 | 使徒言行録

2014年11月16日

「神のドラマの続き」   エゼキエル書9:1-4 使徒言行録28:30-31
                                         濵崎 孝 牧師

 新約聖書の「使徒言行録」の結語は、「(使徒パウロは)主イエス・キリストについて教え続けた」という、どこか静寂を感じさせるものでした。様々な試練や苦難、そして生命の危機をも乗り越え、ようやっとのことでローマへたどり着いた使徒パウロは、当時の世界の支配者ローマ皇帝に福音を語ることが出来たのでしょうか……。大いに関心を抱かされた読者からは、「あっけない結末」、「尻切れトンボ的終り」という批評が語られています。しかし、私どもはそういう終わり方も悪くはないと想うのです。美しい夕焼けで終わる日がありますね。私どもは、使徒言行録の結語から使徒パウロの夕焼け(周囲を美しく染めた信仰の人生の終局)を想起させられるのではないでしょうか。その人生の晩年に囚人となり、番兵に監視されるような生活を強いられた使徒パウロですが、でもパウロ先生は「大胆に」(新改訳)神の国を宣べ伝え、キリストの福音を語り続け、フィリピの手紙(その美しい手紙を、著名な聖書学者たちがローマで執筆されたものだと指摘しています)を書き、周囲を美しい夕焼けのように染めて行ったのでした。そして、ルカ先生は、ご自分の福音書でシメオン兄の夕焼けやアンナ姉の夕焼け(ルカによる福音書2章22節以下参照)を語って来た信仰のライターでした。ですから、使徒言行録の終わり方は、その執筆者の個性が現れた結果だったのではないでしょうか。使徒言行録で聖霊の働きを証言して来たルカ先生は、この世の人生の終わりを感動のドラマにするのも聖霊なる神さまの御業にほかならない……と語りかけたのでした。

 結語は、「続けた」……。言わば、「つづく」と書き記されたようなものです。私どもはそこから、ルカ先生からのもう一つの大切な語りかけを聴きたいと思います。それは、「使徒言行録で語って来た神のドラマの続きは、どうぞあなた方が書いてください」というものです。私どももキリストにある人生の言行録を、この世の生涯の終わりまで書き続けるのです。そして、私どもが導かれたキリスト教会の礼拝堂は、主なる神さまのドラマの続きを観、その偉大な恵みを分かち合って行く楽しい聖なる劇場のようなものなのです。

 旧約聖書の「エゼキエル書」には、「腰に書記の筆入れを着けていた」という天使が登場しましたね。彼は、その時代にはびこった「あらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ」という神さまのご命令に仕えたのです。そして、私どもの時代にも、キリストの福音を語り続け、人間らしく生きたいと願うようになった人々の額に印を付け、「この人にも神さまの憐れみをお与えください」ということをあらわす天使のような働き人が必要ではないでしょうか。

 しかし、その必要性は理解出来たとしても、私どもは、私どものような罪深く無力な者が、使徒言行録の続きを書いて行くことが出来るのでしょうか。

 詩人の藤井貞和さんは、ニューヨークのコロンビア大学で客員教授を勤めた折、日本文学研究者として著名なドナルド・キーン先生の研究室を半年間使わせてもらったそうです。そして、そこにあった蔵書を片っ端から勝手に読ませてもらった藤井さんは、ある時、手にした一冊から劇的な出会いを与えられました。その本から一枚の名刺が落ちたのですが、拾って見ると、「陸軍軍政地教授 藤井貞文」という父親の名刺だったのでした。慌てて本を調べたところ、「昭和十九年七月二十一日ジャカルタに於いて求む之」と書き入れてありました。本は、西田長男著『神道史の研究』(雄山閣)でした。藤井さんが、あとでキーン先生に聴いたところ、戦後に医科大学を訪問した折、図書館の片隅に放置されていた廃棄予定の本だったそうで、キーン先生はそれを貰い受けて来たということでした。廃棄処分で放置された本が心ある人に拾われ、海を渡り、思いもよらない感動のドラマが紡ぎ出された……。

 私どもは、主イエスさまのような慈しみ深い神さまから、その偉大な復活の御力で拾い上げていただいた者ではなかったでしょうか。しかも聖霊なる神さまという愛のドラマ作家が、私どもの個性が生きるようなシナリオを書いてくださるのです。いいえ、もう書いてくださっているのです。その嬉しい出来事を、祈りの路から引き出そうではありませんか。希望を新たにして、「どうぞ東小金井教会にも私にも、使徒言行録の続きを書かせてください」という祈りに生きて行きましょう。ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)。 
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by higacoch | 2014-11-21 10:03 | 使徒言行録

2014年7月20日

「信仰者のわざ」    詩編35:1-10、使徒言行録20:7-20
                               
 先主日、私たちは伝道50周年記念礼拝を捧げ、午後には祝会を行いました。もしどちらか一つを選ばなければならないとしたらどちらを選ぶのか、礼拝か、祝会か、その答えははっきりとしています。無論、礼拝です。それほど礼拝は、教会にとってなくてはならないものなのです。
 さて、今朝、与えられた聖書箇所の最初の言葉「週の初めの日」、この言葉は教会の歴史の歩みの中で、礼拝を指し示す用語となっていきました。もともとイエス様の復活の日を示すものとして4つの福音書に出てきます。それ以外では、使徒言行録とコリントの信徒への手紙一の16章と2回出てきます。これらの箇所ではイエス様の復活の日を現すというより、礼拝を示す言葉として用いられています。使徒たちの時代の礼拝は週の終わりの日の安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)にでなく、週の最初の日(土曜日の日没から日曜日の日没まで)が、礼拝の日として受け入れられるようになってきていました。
 今朝の箇所に「週の初めの日、パンを裂くために集まっている」とありますが、これは聖餐を頂いている礼拝を現しています。そして、聖書学者の中には昼間の礼拝で、パウロが半日以上も長い説教をしたと解釈する人がいます。何しろ夜中まで続いたとありますから。ここに記されている礼拝は、現代の曜日で考えると土曜日の夜なのです。当時の信仰者は身分の低い人が多く、奴隷も多くいました。ですから日中に集まることはできません。主人の許しがでません。だから日の出前か、日没後の夜に集まりました。こうした夜の集会のことがコリントの信徒への手紙一の11章に記されています。(11:17~22参照)
 そこで今朝の箇所の「週の初めの日」の集会は、現在で言うと土曜日の夜です。こうしたことから、土曜日の夜に信仰者たちが集まり、礼拝をして、その中でパウロは長々と説教したのです。翌朝(日曜日)はトロアスを離れます。それもあってついつい話が長くなったのでしょう。集会が始まったのが夜の8時頃だとすると、説教は3時間から5時間位はあったのでしょう。夜中まで続いたとあります。こうなると、一日の疲れを抱えていた人たちは、眠気に襲われます。部屋の中で眠るならまだ危険はありませんが、部屋は人でいっぱい、そこで青年は窓に腰掛けて聴いていましたが、つい眠り込んで、三階から落ちてしまいました。彼を起してみましたが、もうすでに遅く、手のほどこしようがありません。そこで人々はパウロに「死んでいます。」と伝えました。それを聴いても、パウロは死んだ若者に向かって階下に降りていきました。そして、若者を抱きかかえて「騒いではいけません。この青年は、まだ生きている」とみんなに語りかけました。その後、青年は神の力によって生き返えりました。ここで人は言うかもしれません。若者は気を失っていただけだったのだとか、また死んではいなくてまだかすかに息をしていたのだと。しかし、私はそう思いません。私は素直に聖書に記されていたように、この若者は死んでいた、そして、パウロはこの若者を神の力で生き返らせたのだと信じます。ここに神の力が表されたと信じます。そうであるなら、今の時代にもこのようなことがあってもいいではないかと言う人もいるかもしれません。しかし私は、ここに神様のメッセージが語られていると信じています。この箇所には死と生が語られており、死は絶望です。もうこれ以上はありません。すべては終わりです。しかし伝道者パウロは言います。「生きている」と。ここでは死が最後ではない。死が絶望ではない。終わりでない。死の向こうに、いのちが語られて「生きている」と語られているのです。人は死を前にすると、その先を語れません。しかし伝道者パウロは死を乗り越えた生を語るのです。ここに信仰者の言葉があります。わたしたちも信仰によって語らなければなりません。イエス・キリストによって救われた者は、イエス・キリストの救いの業を語らなければなりません。そこに信仰者の証しという業があります。まさに信仰者の生きるわざがあると言えます。
 伝道者パウロは死を超えた生を説教し、次の伝道地に向かって行きました。これは、わたしたちも進んでいく歩みであります。トロアスで終わったのではありません。神のわざに終わりはありません。なぜなら、イエス・キリストは十字架の死で終わったのではないからです。死の後、復活され、今も生きて働かれています。
 わたしたちも伝道50年という今の所に留まるべきではありません。信仰者として神の民として、進んで神の救いの業を伝えていくものでなければならないのです。
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by higacoch | 2014-07-26 17:15 | 使徒言行録

2014年7月6日

『 福音を告げ知らせる 』     詩編23:1~6、使徒言行録 8:26~38 

 いよいよ来主日に伝道50周年の記念礼拝の日を迎えます。東小金井教会は1964年7月26日に最初の礼拝を捧げて、歩み始めました。そして4年目に土地を購入し、その年の12月までに教会堂を建設し、翌年1969年の3月9日に献堂式を行っています。その建物が現会堂ですから、築46年です。教会堂の建物に関しては、補修を施しながら現在に至っています。ただ教会というのは建物ではありません。本来、神によって呼び集められた人々のことです。皆さん方のことです。この教会は50年の歩みをしてきましたが、この間に牧師として仕えて下さった先生は5人おられます。最初は淵江先生、次はスタット先生、萩生田先生、丹羽先生、そして小生です。それぞれの奉仕年数は違いますが、先生方は熱心に主なる神に仕え、また教会の兄弟姉妹に仕え、さらに地域の方々に仕えてこられました。こうして伝道の働きを引き継ぎながら50年目を迎えました。そしてこれからも51年め、52年めにも、将来も、伝道していきます。
 教会は老舗の店やデパートのように伝統を誇るものでも、過去の遺産に生きるものでもありません。過去も現在も、また将来も、為すべきことは、神の国建設です。そのために教会、呼び集められた者たちが生きていくものでなければなりません。教会が大きくても小さくても、教会にとってどんな時代になっても、大切なことは、外に向かって働きかけていくことです。内側だけに目を向けて、自己実現をはかっていくのではありません。外に向かって出ていかなければなりません。その第一はイエス・キリストの福音を伝えていくことです。このことを怠ってはなりません。時が良くても悪くてもイエス様の福音を伝えていかなければなりません。
 さて、今朝与えられました聖書箇所は、フィリポ(使徒6:5)の働きを示した箇所です。彼が何をしたかと言いますと、エチオピアの宦官に福音を告げ知らせました。宦官はエチオピアの女王に仕えた人で、しかも女王の全財産の管理を任された人でした。彼はエルサレムの神殿に来て、礼拝を捧げて本国に帰る途中であり、馬車の中でイザヤ書を読んでいました。彼が持っていたイザヤ書の巻物はエルサレムで手に入れたものでしょう。当時の聖書の巻物は非常に高価なものでした。
 その聖書を読んでいても彼はよく解りませんでした。彼はエチオピア人、ユダヤの国は彼にとっては外国です。ですから、ユダヤの歴史も解らなければ、ユダヤの宗教もわかりません。そんな彼が、馬車のすくそばを走るフィリポに「読んでいる箇所がお解りですか」と尋ねられます。すると「手引きしてくれる人がいなければ、解らない」と答え、すぐにフィリポを馬車の中に招きいれ、教えを請いました。彼が読んでいた箇所はイザヤ書53章でした。「彼は、羊のように、ほふり場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない」ここはイエス様を預言した箇所です。十字架刑に処されるイエス様が、黙々と十字架を負いながら、刑場に向かう姿を現しています。
 使徒言行録はイエス様の弟子たちの活動が記されています。弟子の代表格のペトロや、元ユダヤ教の律法学者であったパウロ、また今朝のフィリポなどの活動が記されていますが、では彼らは聖霊に導かれて、何をしたのでしょうか。それは皆同じこと、イエス様の福音を伝えたのです。自分の考えやその時代の新しい思想を教えたのではありません。ただイエス・キリストの福音を知らせました。それも人間の知恵によってではなく、ただ神様の救いの出来事として、そのままに伝えました。こうしたことを踏まえると、わたしたちも何をなすべきなのかがおのずと明らかになります。それはイエス様の福音を告げ知らせることです。教会が教会として歩み続けるとしたなら、キリストの福音を脇に置いて、別の物を伝えていくべきではありません。
 わたしたちの東小金井教会は、来週、伝道50周年の記念の主日を迎えますが、この日もわたしたちの救い主の福音を伝えるのです。そしてこれまでもそうであったように、これからもイエス様の福音を伝えていきましょう。それが私たちに与えられた務めなのですから。神の民として、神が与えて下さったわたしたちの唯一の救い主、イエス様の福音を伝えていきましょう。
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by higacoch | 2014-07-10 17:08 | 使徒言行録

2014年6月22日

「イエス・キリストの名によって」    詩編133:1-3、使徒言行録2:37-47

 今朝与えられた聖書箇所は、弟子たちが、ユダヤ社会で最初に「イエス・キリストこそが唯一の救い主である」と説教した箇所です。こうした説教が後に彼らの投獄される理由になっていくのですが、ここはまだ逮捕される前の出来事です。弟子ペトロの説教に心動かされた人々が「では、ペトロ先生、わたしたちは、どうしたら良いですか」と問うたことに対して、ペトロは「悔い改めて各々、イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい」と勧めました。イエス様を信じるなら、「イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。」という勧めは、その後の教会が大事なこととして受け継いでいきました。そしてそれは今も同じです。だから私も言います。イエス様を信じるなら、「イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい」と。
 ペトロは、この後「イエス・キリストの名によって」という信仰によって生きるようにという勧めを何度も語っています。このすぐ後の3章にも記されている「美しい門」での出来事にもあります。ペトロは足の不自由な男と出会います。この男は物乞いし、「何か恵んで下さい」とペトロに願います。するとペトロはこの男に向かって言います。「わたしには、金貨、銀貨は持っていません。しかし、わたしが持っているものがあります。それはイエス・キリストです。だからわたしは言います。イエス・キリストの名によって、歩きなさい」と。これは「イエス・キリストを信じて生きていきなさい」ということです。
 ペトロは聖霊の力を受けて変わりました。正確には変えられました。不信仰から信仰へ、聞く者から語る者へとされました。イエス・キリストを信じる者にされたというより、イエス・キリストを語る者に変えられました。
 第二次世界大戦中、ナチスと闘ったニーメラー牧師たちは、バルメン宣言を現しました。その声明の第一項にこうあります。「聖書において、われわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聴くべく、また生きているときにも、死ぬときにも、信頼し、服従すべき、唯一の神の言葉である。教会がこの唯一の神の言葉以外に、またそれに並んで別の出来事、さまざまな力、人、もろもろの真理をも神が示めされたものとして認め、宣教の源泉とすることができ、そうしなければならないと教える過った教えを、われわれは断固退ける。」ここに従わなければならない方は、イエス・キリストのみだと公けにしたのです。こうしたことは今朝、ペトロが説教したことと同じ線上にあります。ペトロは説教の最後をこう結びました。「イスラエルのすべての家の者たちは、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」と。
 私は皆さんに言いたい。「イエス・キリストを信じなさい。」「イエス・キリストの名によって歩きなさい。」と。これは皆さんにだけでなく、まだイエス様を知らない人にも言いたいのです。「イエス・キリストの名によって、生きていって頂きたい。」と。なぜなら、その人をイエス・キリストが真に生かすからです。
 今、日本では政治面で闇が広がろうとしています。現安倍政権が、戦争が出来る国へと舵を切ろうとしています。平和憲法の第9条を空文化し、新たな解釈によって軍を派遣し、戦争しようとしています。それはまた日本が死の商人として、武器を、ハイテクな武器を国外に売り出し、日本の経済発展につなげようとしています。そうした武器の国際展示会に出店し、売り込もうとしています。死の商人ほど儲かるものはないとも言われ、その戦略も練っています。現政権は、戦争へと暴走していると言わざるを得ません。先の戦争では「お国のため」「お国のために」と言われて、若者たちが戦場に送りだされていきました。今は「我が国の安全のために」「国民を守るために」と叫ばれています。そして先の大戦時に、治安維持法が法制化され、国民の声を封じ込んでいったように、同じような内容の法律の名前を変え「秘密保護法」として、法制化していこうとしています。わたしたちは目を覚ましていなければなりません。「人間に従うよりも、神に従わなければなりません。」、これは、イエス・キリストの名によって歩かなければならないということです。イエス様は「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われました。これはわたしたちにも語られていることです。深く考えていくと、現代でも、わたしたちを真に生かす方はイエス・キリストなのです。
 最後に「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」(ヨハネの手紙一の4章9節)と言うみ言葉を心に深く刻みましょう。あなたを救い、生かす方は、イエス・キリスト以外には、いません。イエス・キリストの名によって、みなさんも生きていって頂きたいと願います。どんな時代になっても。
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by higacoch | 2014-06-28 16:51 | 使徒言行録

2014年6月15日

「ナザレの人イエスこそ」     詩編8:2-10、使徒言行録 2:22-36
                              
 イエス様は、ガリラヤ地方の片田舎であるナザレの村で育ち、成長されました。こうしたことから、人々はイエス様のことを「ナザレのイエス」とか、「ナザレの人」と呼んでいました。ナザレは、新約聖書にいくつも出てきますから私たちは親しんでいます。しかし旧約聖書には、ナザレは一切出てきません。ナザレの名さえ1回も出てきません。それほど知られていなかった村でした。実際、後にイエス様の弟子となるナタナエルは、フィリピにイエス様のことを紹介された時、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と疑っています。つまり「あんな田舎のナザレから偉大な人物は出ない」と言っているのです。そのように、当時は辺鄙な村でした。
 伝道者パウロは、イエス様のことを「ナザレのイエス」とも「ナザレの人」とも呼んでいませんが、弟子のペトロは、人々の前で「ナザレの人」と言って説教したことが幾度もあります。その一つが、今朝与えられた箇所です。「ナザレの人イエスこそ、神様から遣わされた方です」と言っています。
 ここに記されているペトロの説教を、原文のギリシア語で読みますと、その特徴が見えてきます。「神様が」という主語がわざわざ記されています。ギリシア語では、普通主語を省きます。それは動詞の語尾変化で、主語が「わたし」なのか、「あなた」なのかがすぐに解るようになっています。だから、あえて主語を書きません。訳す時は、動詞の変化によって「わたし」「あなた」として訳します。そのような中で、主語「神様」が確かに書かれていますので、神様が強調されています。ここでペトロが語ったことは「神様ご自身こそが為されたことだ」ということなのです。
 こうしたことを踏まえて訳すと、22節は、「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いて下さい。ナザレの出身のイエス様こそが、何を隠そう神様ご自身から遣わされた方、その方です。」と語意を強めて語っています。「神様ご自身は、まことをもって、イエス様があなたがたの間で行われた奇跡、不思議な業、しるしなどによって、あなたがたに証明なさいました。そうです。まさにあなたがた自身が、すでに知っている通りなのです。」と。さらに23,24節、そして32節、36節も、神様を強調して訳してみますと、弟子ペトロが言いたかったことがよく解ります。「ナザレの人イエスこそがメシア(救い主)だ」と大胆に説教しました。そして「そのイエス様を、あなたがたは十字架上で殺してしまいました。しかし神様ご自身は、なんとイエス様を死の苦しみから解放して復活させて下さった」と語って、ペトロをはじめ、弟子たちはイエス様の復活の証人となっていきました。外国に住んでいたユダヤ人たちは過越祭で都エルサレムに帰郷していましたが、イエス様のことを知らなかったし、巡礼者たちも知りませんでした。そんな中で、弟子たちが彼らの国の言葉で、しかも救いの出来事を語り始めたので驚きました。
 ユダヤの中心である都において、片田舎の出身のイエス様をメシアということは、命の危険があることでした。でも弟子たちは、田舎育ちの「ナザレの人」こそ、メシアだと大胆に語り始めました。都には宗教的な権威のもとで生きていた神殿の祭司集団、そのトップである大祭司の権力が、これこそ人間による権威構造が厳然とありました。そんな中で、ペトロは人間によって作り出された権威ではなく、神様の権威によって造られる国こそが、まさに神の国であると語り、ナザレの人イエス様こそが、神様ご自身によって立てられた「すべての人の救い主メシアだ」と説教したのです。
 使徒言行録に記されているように、救い主イエス様を信じた人々が洗礼を受けて、教会が誕生していきました。イエス様の救いは、二千前の真理ではなく、今も真理です。そして、イエス様こそが救い主と信じて、イエス様を受け入れる者が救われていきます。このことは神様ご自身が与えて下さった救いの恵みです。ナザレの人イエス様を信じて、神と隣人を愛しつつ、歩んでいきましょう。
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by higacoch | 2014-06-21 16:47 | 使徒言行録