カテゴリ:サムエル記( 1 )

2015年7月12日

『主の作られる神の家 』  サムエル記下7章1-17節、使徒7章44-50節
                                     伊能 悠貴 教職志願者

 サムエル記とはどのような特徴のある書物でしょうか?一言で言いますと、「非常にむずかしい」書物であります。描かれている物語がよかった出来事なのか?悪かった出来事なのか?とても判断しにくいのです。サムエル記下7章も、判断がむずかしいことが起こっていると言えます。ここでは、旧約聖書で英雄とさえされる王ダビデが、主のために家を建てようと心に思うところから話が始まっています。ダビデは7章2節でこのように言っています。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ダビデは、「神さまを差し置いて、自分だけがレバノン杉の家に住んでいるのは良くない。神のために家を作ろう」と思った訳です。ダビデ自身、自分では道徳的な良い思いとして、神殿を建てようと思ったことでしょう。人の目から見れば素晴らしい思いだと思えるかもしれませんが、主の目からすると、悪い思いとは言えないにしても、主の思いに沿ったものではなかったようです。預言者ナタンに与えられた主の言葉の中ではこう言われています。5節の後半から。「主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようと言うのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。」 
 主なる神はこれまで一度も「わたしのために家を建ててくれ」などと言ったことはありませんでした。むしろ主は「イスラエルの子らと共に歩んできた」と言われています。「歩き回ってきた」という訳せる言葉であります。おそらく創世記3章を意識して描かれたのでしょう。どこへでも行くことのできる方、誰からも縛られずもっとも自由なお方、それが神さまであります。それにも関わらず、ダビデが願った「主の家」とは、どういったものなのか。無意識の内に主を独占する思いも生まれてくるような、きわめて危険な香りがダビデの神殿建設の願いに垣間見えるのです。そのような神を独占するような姿の代表例がファリサイ派や律法学者のような人々と言えます。そして説教者の陥りやすい姿でもあります。御言葉を扱う者は神の前に立っているつもりであり、欠かさず10分の1のささげものを捧げているつもりであり、神の与えられた律法を守っているつもりであります。しかし結局自分たちのしていたことは、自ら作り上げた学問や立場によって「人を縛り上げ」そして「神をも縛り上げよう」というところに無意識にも陥ってしまっていたのでしょう。
 私たちが「教会」に集まるということ、「神さまを知る」ということ、これは人生における、何にもまさる祝福であります。しかし私たちは「教会」を、「主なる神」を、どのような目で見つめていますでしょうか?祝福のうちにいることは事実でありますが、同時に吟味を絶やさない目を持ち続けたいものです。
 では、人は何もしない方が良いということになるのでしょうか?いえ、主はダビデに「お前の願いは悪しきものだから、何もするな」とは言われませんでした。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。」とサムエル記下7:11の後半に書かれています。逐語的に訳してみますと、「たしかに家を、あなたに作るだろう、主が」となります。「家」という語が非常に強調されつつ、「ダビデが家を建てよう」と言っていたことに対し、「主が家を、作るだろう」と言うのです。
 主の言われた「家」とは、建てられた物というよりもむしろ、「家族、民族、王国」という意味であったと考えられます。新約聖書を引用するならば、「わたしたちの本国は天にある」(フィリピ3:20)と言ったパウロのイメージに非常に近いのでしょう。このサムエル記の預言の成就が、キリストによってもたらされ、今、私たちの上にも「一つの普遍的な教会」として与えられているのです。私たちは預言の成就なのであります。そして、完成へと向かう者なのです。永遠である主の言葉を慕う者とされた私たちはなんと幸いなものなのでしょうか。「たしかに家を、あなたに作るだろう」と主は言われました。この言葉に聞き慕う者として、この言葉の成就なる者として、わたしたちはどのように過ごしたら良いでしょうか?
 私のおすすめとしましては、「自分の作り上げるものではなく、主の作られたものを、いつでも受け入れる態度を持つ」ということです。自分の計画ではなく、主の計画に身をゆだねることのできるものとして、主の家にこころ躍らせながら今週も歩んでまいりましょう。
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by higacoch | 2015-07-18 16:19 | サムエル記