カテゴリ:テサロニケ( 2 )

2013年12月15日

「神が望んでおられる生活」 
        ゼファニヤ3:14-18、Ⅰテサロニケ5:16-24
 
                              
 今朝与えられた聖書箇所に三つの勧めがあります。「喜び、祈り、感謝」。これらはよく覚えられています。
 喜びは時には喜びなさいと勧めているわけではありません。「いつも喜びなさい。」と言っています。良いことがあった時に「喜びなさい」ではありません。「いつも」なのです。では人生でいつも喜べるでしょうか。どんなことがあっても喜べるでしょうか。そうはできません。私たちの生活では悲しいこと、苦しいこと、つらいこと、怒りたくなる時があります。喜べるようなことばかりではありません。ではパウロは、そんな人生経験をしていないのでしょうか。いつも喜べることばかりの人生だったのでしょうか。そうではありません。否むしろ、いやという程苦しい辛い悲しい経験をしています。(Ⅱコリント11章参照)そんなパウロが「いつも喜んでいなさい」と言うのは、悲しみやつらさなどを「我慢して」喜んでいなさいと言っているのではありません。人生の一つ一つの経験よりも、もっと深い所で喜びの根源を頂いているのです。それはその人の存在自体が愛され、赦され、受け入れられているということです。だから、あらゆる出来事の根底に喜びがあり、その喜びを持って「喜びなさい。いつも」と言っているのです。
 イエス様御自身、十字架にかけられる前、最後の説教をされた時に、弟子たちに「あなたがたには悲しみがある。しかしその悲しみは悲しみのままでは終わらない、それは喜びに変わる」(ヨハネ福音書16章参照)と言われたことに通じています。ヨハネの手紙の一には「神は独り子を世にお遣わしになりました。・・・ここに神の愛が私たちに示されました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪をつぐなういけにえとして御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(4章9,10節参照)と。
 今日、アドヴェント第三主日を迎え、三本目のロウソクに火が灯りました。この光は喜びの光を表しています。イエス様の誕生の際、天使は羊飼いたちに「大きな喜びを伝える」と言っています。ここにある「大きな」と訳されているギリシア語は今で言う「メガ」です。「巨大な」という意味で使われ、メガポリス、メガバンク、メガフロートとかあります。そのように巨大な喜びが与えられました。この喜びはすべての人に与えられた喜びだからです。イエス様の誕生はすべての人のためであり、その喜びは私たちが罪を赦されて、愛されていることなのです。
 次に「祈り」です。祈りと言うのは、知識よりも実践です。「祈りについて」よりも「祈る」ことです。水泳ではどんなに泳ぎ方の参考書をたくさん読んでも泳げるようにはなりません。それよりはまず水の中に入って、手足をばたばたさせることです。そのように体が覚える面があります。祈りもどんなに多くの祈りの本を読んでも祈らなければ、神様からの祈りの恵みを頂けません。パウロは「祈りについて」学びなさいと言っていません。「祈りなさい」と言っていますし、「絶えず祈りなさい」と言っています。祈ることによって、祈りの本質を学ぶのです。祈りは決してひとり言ではなくて、神様との対話であり、神様に向かって心を注ぐことです。そうした時に、神様からの応答があります。そうした体験学習が一番いいのです。まずは祈ること、それも「絶えず祈ること」。ちょっと祈って、すぐやめる。祈っても無駄だと決め込んでいる時には、祈りからは学ぶこともなく、信仰者の成長もないでしょう。
 最後に、感謝、「ありがとう」です。感謝する心は、神様からの恵みだと思います。ただ、「どんなことにも」とあって、ただ単純に、何もかも鵜呑みして、何でもかんでも「感謝」「感謝」というものではないと思います。人から何かをしてもらった時、感謝することは大切な心であり、逆に感謝しない心は、不満な心、苛立つ心、相手に文句をいう心です。私は、単純で正直な思いで言うのなら、召される時、身近な人に「ありがとう」を言える人間でありたいと祈り願っています。この5文字は、人に対してだけではなく、神様に言いたいと願っています。「お・も・て・な・し」の心も大事ですが、「ありがとう」がより大事だと思うのです。詩編は神様への賛美がほとんどですが、その中で「感謝せよ」連呼しています。
 パウロは教会の人たちに「喜び、祈り、感謝」を律法としてではなく、主の恵みに応答して、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝することを求めているのです。私たちもキリスト・イエスの恵みに応答して歩んでいきましょう。
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by higacoch | 2013-12-21 23:02 | テサロニケ

2012年12月2日

 「神と共に生きるために」 イザヤ51:4-7, テサロニケ一 5:1-11

 アドベント第1主日を迎えることができました。教会の暦は、ここから1年が始まります。アドベント第一主日にクリスマス・クランツのろうそくの1本に火が灯されました。このろうそくの光は、希望の光を象徴しています。希望の光が灯ったということ。ヨハネ福音書の冒頭には、「まことの光が来て、すべての人を照らす」(1:9)とあります。一部の人(善人、信仰者)たちだけを照らしているのではありません。すべての人を照らしているのです。本人が気づいていなくても照らしています。このことはイエス様が地上に来られて、すべての人のために十字架上で死んで下さったことに通じています。イエス様はすべての人の罪のために、その罪を赦して、その人を救うために死んで下さったのです。
 先主日は、アドベントとは「到来」の意味があり、二つの出来事を表しているとお話ししました。第一の到来はイエス様の誕生であり、もう一つはイエス様の再臨です。先主日は第一のアドベントであるイエス様の誕生を覚えて、イエス様は何のために誕生されたのかを共に学びました。要約すれば、イエス様はこの世の罪人を救うために来られたということ、決して善人、信仰者だけのためではなく、罪人を救うために来られたとお話ししました。
 それにつづいて、今朝は第二のアドベント、イエス様の再臨の目的は何かを学びたいのです。イエス様が再び地上に到来されるのは、いつなのでしょうか。今朝の新約聖書の箇所は、まさに、再臨の待望のことについて、伝道者パウロ自身が書き送った箇所です。パウロは「兄弟たち、その時と時期については、あなたがたに書き記す必要はありません」と書いています。どうしてでしょうか。もしその時と時期を書き記したなら、その時と時期が特別な時となり、人がそこに合わせて生きていくようになるでしょう。そうなると、特別な態度と行動を取ることになっていきます。これまでの信仰生活から離れ、特別なことをしていくことになるのです。はやって焦ったり、動転したりするでしょう。教会の歴史を見てみると、2世紀に女予言者が出て、その日時を予言したため、人々は高揚し、特別な行動に走りました。そしてその日が来て何も起こらず日が過ぎていくと、多くの人々は信仰を失っていきました。こうした偽の予言は昔の出来事だけではありません。20世紀にも何度かあり、現代でも起こりうることなのです。
 イエス様自身も再臨のことで「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ父だけが御存じである」と言われ、弟子たちに「人の子は、思いがけない時に来る」と言って、十人の乙女の譬えを語り、日頃から油を用意しておくように言われました。「人の子が来られた」と聞いて、あわててしまうのではなく、普段から信仰を持って生き続けなさいということを教えておられるのです。
 だから伝道者パウロは、その時、その時期を書き記す必要がないと言ったのです。パウロは、再臨の時に「主の日が来る」と言っていますが、人の子が再臨される時は主が中心となる日であると強調したいのです。周りの人々が「無事だ。安全だ」と言っている矢先に「破滅が襲う」。丁度、妊婦に産みの苦しみがやってくるのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、苦しみ続けると言いたいのではありません。産みの苦しみは必ずあります。しかし、それはずっと続くのではないのです。新しい命が産まれたなら、喜びがあります。苦しみ以上に、喜びが溢れるのです。このことを言いたいのです。ですから、苦しみがある。「しかし、兄弟たち(姉妹たち)、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。あなたがたは、光の子、昼の子なのです。だから、目を覚まし、身を慎んでいよう。私たちは昼に属しているので、信仰と愛を胸あてとして付けて、救いの希望をかぶととしてかぶり、身を慎もう」と勧めています。人々のように不安と恐れ、苦しみの中でおびえるのではなく、信仰をもって生きていこうと言っているのです。
 ここでパウロがはっきりと言っているのは、何よりも、神様はわたしたちを怒りに定められたのではなく、主イエス様によって救いに預かるようにと定められたということです。怒りではなく、救うために、見捨てるためにではなく、主イエス様と共に生きるようになるためだというのです。ですから、互いに励まし合い、お互いの向上を求めて生きていこうと勧めています。パウロは、主イエス様が再び来られるのは、あなたがたを救いに預からせて、救いの完成をもって神様と共に生きるようにしてくださることなのだ、だから、信仰を持って互いに励まし合い、生きて欲しいと言っているのです。
 アドベント第1主日を迎えて、希望の光が輝きました。私たちも、救いの希望のかぶとをかぶり、しっかりと希望を思って、生きていきましょう。
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by higacoch | 2012-12-03 22:28 | テサロニケ