2017年4月30日

「重要なことを見分ける」      列王記上3:4-1、フィリピ1:3-11
                      めぐみ教会牧師 荒瀬牧彦

 今日の説教題は、めぐみ教会2017年度の主題をそのまま持ってきました。主題聖句はフィリピの1章9-10節。「わたしはこう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」

 めぐみ教会は今年「みことば手帖」というのを作って、毎月一つずつ暗誦する聖句を印刷したシールを貼っていくようにしているのですが――「おくすり手帖」をモデルにしました!――いちばん初めに皆で暗誦したのが、この聖句なのです。共同の働きを共にする東小金井教会の皆さんにも、ぜひこの祈りを分かちあって頂きたいと思い、この箇所を今日の説教テキストとしました。この祈りは、すべてのキリスト者、すべての人間が暗誦して日々祈る価値のある祈りであると思います。

 フィリピの教会に書いたこの手紙で、パウロは「自分は今監禁されているが心配しないでほしい。むしろこの事は福音の前進に役立っているのだ」と伝えようとしています。愛するフィリピの信徒たちは、自分たちの指導者である人が獄中に囚われていることで心配しているでしょうが、しかし、惑わされることなく事柄の本質を見てほしいと願っているのです。そこで、彼がフィリピの人たちのために祈る祈りは、「何が本当に重要であるかを見分けられるように」となりました。
 
 旧約聖書の列王記上3章には、若くして父ダビデから王位を継承したソロモンの祈りが記されています。彼は夢の中で、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と神に告げられました。その時彼が願い求めたのは、「善と悪を判断し、正しい裁きができるように、聞き分ける心を与えてください」ということです。父のようなカリスマや、戦争の勝利や、神殿建設の費用や材料を求める祈りではなく、正しく見分けられるようになる力を求めたのです。「主はソロモンのこの願いをお喜びになった」と列王記は記しています。

 反対に、大事なことを見分けられなかった人たちも聖書には多く出てきます。イエスのもとに「永遠の命を得るにはどうしたらよいか」を尋ねにきた金持ちの青年もそうです。彼は自分の財産を手もとに保持することのほうが大事だと思えて、イエスに従っていく――永遠の命を生きる――機会を逃してしまいました。網を置いてイエスの招きにすぐに従ったシモンたちは、ガリラヤ湖畔で呼びかけられたあの時、「今、自分に最も重要なのはこれだ」とわかったのでしょう。金持ちの青年と対照的です。

 「善いサマリア人の譬え」で考えてみましょう。傷つき倒れている人の傍らを最初に通った祭司、また次に通りかかったレビ人は、自分の仕事のことを考えたのでしょう。「この人を助けたら、自分はどうなるか」。その結果、何もせずに立ち去ることを選択したのです。三番目に来たサマリア人は、「この人を助けなかったら、この人はどうなるか」を考えたのでしょう。すぐにこの人の救護にあたり最善を尽くしました。三人のうち誰が「本当に重要なこと」を選んだのかは明らかでしょう。
見分けるために必要なのは知識や計算だけではないとわかります。結局、愛が決め手なのです。だからパウロは「愛がますます豊かになり」と祈っています。神さまへの愛、隣人への愛なしに、本当に重要なことは見分けられないのです。
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by higacoch | 2017-04-30 18:46 | フィリピ
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