2016年12月18日

「喜びは尽きず」 イザヤ9:1-6、マタイ1:18-25
                           関 伸子 牧師

 来週の主日はクリスマス礼拝です。その前に、私たちが今日、マタイによる福音書第1章18節から、「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」という言葉を聞きました。
 しかし、ここに書かれていることは、誕生そのものの出来事が全く書かれていないのです。最初にマリアが妊娠をした、それをめぐってヨセフが思い悩んでいたときに、夢の中で主の使いがヨセフに現れた、そしてその主の使いの望みに従って、生まれた子どもに「イエス」という名が付けられたということ、この三つだけです。しかも最も長いのは、ヨセフの見た夢の話です。
 18節の「聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」という言葉、これは原文に添ってもう少し厳密に訳すと、「聖霊によって身ごもっていることが見つかった」という文章です。そのことで、ヨセフのマリアに対する愛がどんなに深く傷ついたかということは、説明を要しないと思います。しかもそのことだけで悩んだのではなさそうです。19節に、「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」と書いてあります。自己保身の手段を考えたというふうに読んでしまいそうです。
 私たちもまたこれに似たことをいろいろな形で知っています。親しい者との愛の生活に、私たちは一方でどんなに大きな喜びを見出すか。そして他方においてどんなに深く傷つくことでしょうか。特にそこで愛が見いだせなくなった時に、そこで一緒に生きることはもうできないという思いを抱いたときに、どんなに心深く悩むことがあるか。しかも誰にも言うことができないのです。クリスマスはそういうまことに人間的な、しかし深い魂の中で起こったのです。
 森有正というひとりのキリスト者がいました。森先生は東大の教授の職を擲(なげう)ってフランスに行ってしまいました。そして、いろいろな人からひどいことを言われながら、お連れ合いと別れてしまうようなことをしながら、フランスで何十年と生活をし、1976年に天に召されました。関根正雄という先生が、森先生を論じておられる文章の中で森先生を引用してこうことを言っておられます。「人間というものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅を持っています。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。(中略)人に言えず、親にも言えず、先生にも言えず自分だけで悩んでいる、恥じている、そこでしか人間は神さまに会うことができない」。関根先生は、この森先生の文章を指摘して、ここに森有正という信仰者の〈根性〉がある、ということを言っておられます。
 クリスマスは、いつもより多くの人が集まります。来週、この礼拝の席においても、私たちは皆一緒に、あの人も来た、この人も来たという思いの中にありながら、同時に傍らにいる人も忘れてしまうような、ただひとり〈神の前に立つ〉思いを持つことが求められているのではないかと思います。
 ヨセフはまさに、ただひとり神の前に立たされた。人間的な、それこそ人には言えない愛と疑いの中で、時にマリアに対して憎悪の念さえ抱いたにちがいないと思われるような悩みを抱きながら、しかし、ただひとり神の前に生きざるを得なかったのです。ただひたすらこの「心の一隅」において神と出会うことを願ったのです。
 ヨセフは夢の中で、主の使いにこういうことを言われました。あなたはこの娘を離縁してはならない。ちゃんと自分の妻として迎えなさい。それはこの女が産む子を自分の子として引き受けろということです。
 イエスという名はヘブライ語でヨシュア、ヨシュアというのは「わたしたちの救いだ」という意味です。長男が生まれるととても喜びます。私たちにとって神さまは〈救い〉なのだという思いで、ちょうど私たちが子どもに「恵」とか「恵一」などという名前をつけるのと同じように、ヨシュアという名前をつけたのです。
 MOLという集団があります。これはたいへん面白い集団で、「ミッション・オブ・レパーズ」と言います。レパーズというのは「ハンセン氏病患者」で、「ハンセン氏病患者の伝道」という意味です。この集団が発行した書物に『現代のヨブたち』という本があります。ハンセン氏病に罹った人たちがその中で信仰を持つに至り、どうやって生きてきたかということを書いている文章です。ひとりの人のことを紹介しますと、その人は15歳になった時に、自分の異常に気がつき、赤十字病院に行って、実に簡単に「あなたはハンセン氏病だ」と言われた。自分は死んだ方がましだと、15歳の少年がそう思う。ひとりの人が静かにわたしのベッドに近づいた。女の人であった。その人はまるで自分のベッドにすがるようにして体を傾けてきて、祈りに似た声でこう言ったというのです。「松村さん、すべての人があなたを見捨てても神さまはあなたをお見捨てになりませんよ」。その言葉を聞いていのちの火がともったと思った時に、彼は危篤状態を突き抜けた。そして、生きて信仰を語り続ける人となりました。神さまは私たちも一緒におられる、私たちがどんなに罪を犯しても、どんなにこの歴史を崩してしまうようなことをしても、神さまは私たちと共におられる。私たちが望みを捨てないですむようにしていてくださる。その意味において、私たちも、ハンセン氏病の方たちに負けてはならないと思います。同じ恵みを受けているからです。お祈りいたします。
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by higacoch | 2016-12-24 17:06 | マタイ
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