「 喜びに満たされて 」 マルコ1章29節~34節
平 尚紀 伝道師 マルコ福音書を読むと、シモンという男は、主イエスに出会うと、すぐに従ったと書かれています。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われて、シモンはすぐに網を捨てて従ったと、マルコ福音書は語るのです。ここで、私たちは、ある疑問が起こってくる。シモンという人は、なぜ、出会ってすぐにイエスという男について行ったのか。網を捨てて従ったとは、漁師という職業を捨てたということです。職業の上に成り立つ生活さえも捨てて従ったということになるのですが、突然出会った、身も知らずの人に、なぜ、すぐに従うことができたのでしょうか。 ここで、大切なことは、福音書は、そうしたシモンの側の動機については一切触れていないということです。聖書が伝えていることは、主イエスが招かれた、声をかけられたから、シモンは従ったのです。シモンの動機には一切触れていないのです。シモンは、主イエスに声をかけられたことで、主イエスに従う弟子となった。主イエスが、シモンをじっと見つめ、声を掛けられた、だから、シモンは主イエスに従うことができたのです。弟子となったシモンにも、動機と言えることは、きっとあったでしょう。しかし、それ以上に、主イエスが、シモンをじっと見て、知ってくださり、声を掛けてくださった。だから、シモンはすぐに網を捨てて従うことができた訳です。 ところが、シモンには姑がいた。結婚をしていた。家族があった。養うべき家庭があったのです。そう思うと、少し、事情が変わって聞こえてきます。養うべき家族がありながらも、網を捨てて、仕事も生活も、家族も見捨てて行ったというのは、少し身勝手ではないかと思うのです。生活を顧みず、主イエスに従ったのは、いささか身勝手すぎると考えてしまいます。だからこそ、主イエスは、会堂を出るとまっすぐに、シモンの家に向かわれたのです。主イエスは手当たり次第に声を掛け、自分の主張に付いてくる者を捜すお方ではなく、湖で網を打つシモンの心の内、生活、家族、そうしたすべてに責任を持ってくださる。その上で、「わたしについて来なさい」と声を掛けてくださるお方なのです。 しかし、シモンの家では、姑が熱を出して寝ていました。人々は早速、そのことを来訪者である主イエスに話したのです。突然の来訪者に、歓迎したいのだけれど、今はそれどころではない。こちらの都合がある。こちらの生活があるとでも言わんばかりです。面白いのは「話した」と言うところです。主イエスに癒しを求めたのではなく、家族の者が病であることを伝えたと言うのです。弟子となったシモンや兄弟のアンデレも、また、その場にいた人々も、まだ主イエスのことを知っていない。今日の聖書の最後の言葉「悪霊はイエスを知っていた。」という対比するようなマルコの言葉がとても印象的です。家族の人々は、いや、弟子となったシモンでさえ、イエスのことをまだ良く知らない。理解していないということなのです。 主イエスがこの家に入っていく。姑の手を取り起こされる。すると姑の熱は去り主イエスをもてなした。主イエスとその一行をもてなし始めたのです。主イエスが手を取って起こされた時から、シモンの姑は主イエスに仕えた。それだけでなく、この時からずっと、この家族は、繰り返し主イエスとその一行を家に迎え入れ、もてなし続けた、仕え続けたということなのです。シモンが主イエスに従って行くだけでなく、この姑も、この家族も、喜びに満たされて主イエスに仕える者になったのです。 すると、どうでしょうか。人々はイエスのもとに大勢の病人を連れて来たのです。 町中の人が、喜び溢れるシモンの家の戸口に集まって来たのです。主イエスによって、シモンの家から町中へと喜びは広がっていったのです。シモンが、主イエスに従うという決意の結果、その家族が主イエスと出会い、喜びに満たされて主イエスに仕える者と変えられる。それだけでなく、更にそこから喜びがあふれ出て、町中の人が驚きと喜びに包まれたのです。シモンの身勝手とも思える行動でしたが、主イエスが招かれると、シモンだけでなく、その家にも喜びに満たされていく。それだけでなく、その近隣にも喜びがあふれ出て行く。これが主イエスの喜びの福音です。 私の家族は教会には・・・。と言う人もおられるかも知れません。本当にそうでしょうか。 シモンが主イエスに従うという決心を通して、この家族が喜びに満たされたように、あなたを通して、あなたの家族に喜びの福音が届けられるようにと、神があなたをその家においておられるのではないでしょうか。 また、あなたが安心して、教会で、神に仕える働きができるようにと、神が、あなたの家族をあなたのそばに置いておられるのではないでしょうか。 主イエスは、弟子のシモンのように、私たち一人ひとりを招いてくださる。 これが主イエス・キリストの福音です。喜びの知らせです。 私たちは、喜びで満たされる必要があります。そしてそれは、私だけの喜びでなく、また家族だけの喜びでもなく、町中に、世界中にあふれ広がる喜びなのです。
by higacoch
| 2016-08-27 16:55
| マルコ
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