「神の霊が注がれる」 ヨエル書2:27-3:2、使徒言行録2:1-11
香月 茂 牧師 ペンテコステは教会の誕生日です。私は、今日の説教題を「神の霊が注がれる」としました。「神の霊が注がれた」とはしたくありませんでした。ペンテコステを今から2千年ほど前の出来事、教会の誕生日、それはずっと前の過去の出来事、それだけと受け止めて欲しくなかったのです。聖霊が「注がれた」と過去の出来事としてではなく、「注がれる」と現在進行形で理解して頂きたいのです。聖霊の働きを過去のことしてではなく、今も続いていると受け止めて欲しかったのです。現にそうだからです 聖霊が注がれるということはどういうことなのかと考えてみたいのです。神が聖霊を注がれ、注がれた弟子たちはどう変わったのか、そこに注目してみましょう。弟子たちは注がれる前と後では、違います。大きく変わりました。以前は、人々の前で語ることはありませんでしたが、聖霊を注がれると、弟子たちは大胆に語るようになりました。「神は、イエスを死の床から復活させたのだ」と、キリストの福音を語りました。その福音が、聞いた者たちの心の奥までにしみこんでいき、彼らの心を動かしたのです。そして「自分たちは、どうしたら、いいのでしょうか。」弟子たちに聞いてきました。そこでペトロは、「キリストの名によって洗礼を受けなさい。」と勧め、彼らは、それを受け入れて、進んで洗礼を受けました。その数は6000人ほどであったとあります。こうして信仰者が与えられて、その結果、教会が誕生したのです。 話は変わりますが、先週の日曜日の礼拝後に、5月生まれの方々をお祝いする誕生日会を行いました。そうした誕生日会で、私は、誕生日を迎えた時の感想を、ある出来事を体験して、変えられたことを何度もお話ししています。それは、悲しい出来事でした。私は妻と結婚し、翌年に長女が与えられました。その長女が2歳の誕生日を迎える1ヶ月前に突然、亡くなりました。特別伝道集会に来られたよその教会員の方が、お土産にピーナッツを持って来られました。その4日後に、娘は小さな手にピーナッツを持って、それを食べ、喉に詰まらせ窒息しました。一人娘の死は私たち夫婦にとって耐えがたい悲しみでした。泣いて日々を過ごしました。そんな悲しみの中で、長男が与えられて育ち、そして2歳の誕生日を迎えた時、本当に言いつくせないほどに嬉しかったのです。これは言い合わせたわけではありませんが、妻も心から神様に感謝しました。何しろ、娘が2歳になる1ヶ月前に亡くなったからです。ですから長男が2歳の誕生日を迎えた時、「ああ、神様、長男を2歳まで生かしてくださり、ありがとうございます。」と深く感謝を捧げました。そして、こうした体験を通して、私も変えられました。翌年2月に、私の誕生日(38歳)を迎えました。これまでは、「○○歳の誕生日、おめでとう」と言われても、てれなどもあって、さほど特別な思いを持ったりしませんでした。しかし、この時から「神様は、私を38年間、生かしてくださった。38年間も守り、支えて、生かしてくださり、本当に、ありがとうございます。」と思うようになりました。こうした経験から、教会で行う月の誕生日会の時に、「誕生日で何歳になったなら、その年齢の数は生かされて年数ですよ。」と言うようになりました。ただ「何年生きたではなく、生かされた年数なのだ。」と。 今日はペンテコステ、この日は教会の誕生日です。私たち一人一人がそうであるように、教会も2千年近く生かされてきたと言えます。そして私は「聖霊が注がれた」と言わないと言いました。「聖霊が注がれた」と言って、教会の誕生を2千年前の過去の出来事として受け止めたくないからです。聖霊が注がれるという出来事は、決して過去の出来事ではなく、現在進行形です。聖霊が注がれる、今日も注がれているし、これからも注がれていきます。そのことを、私は、現に見ています。聖霊が注がれることによって教会が生まれたように、今も教会が生み出されているからです。教会が生み出されているのですから、そこに聖霊が注がれている確かな証拠があります。ここ東小金井教会も今年も7月26日を迎えると、52年目の誕生日を迎えます。52年前に教会が誕生したのではなく、52年間も神様から守られて、教会が生かされていると受け止めていきたいのです。その間も、信仰を告白する方が途切れることなく与えられていることは、聖霊がその方々に注がれているということです。信仰者が起こされるところには、人間の業がなされているのではなく、聖霊の業が為されているのです。教会に聖霊が注がれて祝福されているのです。 私たちもこれからも聖霊を求めて歩んでいきましょう。
by higacoch
| 2016-05-21 17:59
| 使徒言行録
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