2016年1月10日

 「神に献げなさい」  詩編2:1-12、ローマの信徒への手紙 6:12-23
                               
 新しい年2016年を迎えて、第二の主日になりました。わたしたちの教会は、ここ数年、この第二の主日礼拝を伝道主日礼拝として、外部からの先生や教職志願者を招いて、伝道を意識した礼拝を捧げています。
 さて、正月と言えば、日本では初詣です。多くの人が神社、お寺に出かけます。初詣で関東地方での人気のベスト3は、明治神宮、川崎大師平間寺、成田山新勝寺です。この近くでとは、京王線府中駅近くの大國魂神社であります。そうした初詣で、多くの人がするのが、お賽銭です。神様に、仏様に、お賽銭をします。
 お賽銭も日本人特有の縁起担ぎがありますから、5円を投げ入れる人は「今年もご縁がありますように」とか、10円を捧げる人は2枚の5円を重ねることで「かさねがさねにご縁がありますように」とか、15円を捧げる人は、「十分にご縁がありますように」また5円硬貨を3枚にして「三重にご縁がありますように」とか捧げます。こうした神社やお寺に捧げられるお賽銭と、教会で捧げられる献金には、決定的な違いがあります。お賽銭の目的は祈願です。「ご縁がありますよう」にと願われているのは「お金」「合格」「縁談」などです。それに対して、献金は祈願の捧げものではありません。「神様、ありがとうございます。今年も一年を始めることができました。こうして健康が与えられ、生かされていることを感謝します」と感謝の思いで捧げます。祈願か、感謝か、これは決定的に違うのです。どう違うのかと言いますと、祈願はあくまで自己中心的で、自己幸福追求型です。それに対して教会は「神様、ありがとうございます。」感謝なのです。こうした祈願と感謝の違いは、正月だけではありません。私はカウンセリングを学んで思うのですが、これが人間の人格形成に影を落とします。というのは、人がお金を出す時、そのお金にはその人の祈願がつきまとうと言うことです。お金を出す時、それが自分にとって、後々、儲かること、幸福になること、利益になることが前提条件なのです。それが期待できなかったり、何のお返しもないと思われたらお金を出しません。出す以上は損をしないと考え、常に自分にとっての損得が条件です。つまり出すなら、損にならないことが鉄則です。初詣のお賽銭によって、お金による脳の神経細胞のシナプスに回路ができ、それが主要な回路となって形造られていくのです。こうなると、お金でもっと儲けてやろうとなって、その人の人格形成に大きく作用するのです。この形成は不幸です。なぜなら、その人は人を見て、自分のために、その人を利用することになるからです。これはまさに自己中心的な考えであり、相手の幸福を考えるより、まず自分の幸福を常に求めるようになります。そこには相手を思いやることが想像できなくなっていきます。人に親切にすることも、心の奥では見返りを願ってするようになるのです。
 これに対して教会は「ありがとう」感謝です。それは、神様の恵みの先行性によって生きる姿勢です。神様は、わたしたちが気づこうと気づくまいと、一方的に先に恵みを与えてくださいました。神様の独り子なるイエス様を与えてくださり、イエス様もわたしたちを一方的に愛してくださいました。イエス様は、良い教えや病人を癒し、死んだ者を生き帰らせました。それだけではありません。否、それ以上に自分のいのちをも惜しまず、いのちを捧げて愛してくださいました。ですから、これに気づかされた者は神様に感謝の捧げもの(献金)をするのです。自分の精一杯の感謝を表します。「週報」にも書かれてありますように「主への感謝と献身のしるし」です。礼拝では、お金を捧げますが、それは、お金以上の「わたし」を捧げて(献身)いるのです。お金で済ましておこうと言うのではなく、ご自身を捧げていることなのです。だから、縁起を担いで、今日はこれくらいにしておこうというものではありません。まず、神様に、「ありがとう」を表すのです。
 最後になりましたが、今朝、与えられた箇所に、パウロは3回、「献げること」を勧めています。13節に、「死者の中から生き返った者として、自分自身を義のための道具として神に献げなさい。」と語っています。このことは、とても大事なことです。イエス様の救いにあずかる前、私たちは死んでいたのです。それが自分中心的な考え方、生き方であり、それは神の前に罪を犯していることであり、その罪ある生活は、結局のところ死だからです。そうした中から救い出してくださったのが主イエス様なのです。こうしたことで解るのは、わたしたちの人生は、神様に救われて、神様のために生きていくように導かれているということです。これは、イエス様がわたしたちを死から生かし、わたしたちを用いて、神様の栄光を表そうとされていることなのです。だから、神様に自らを捧げて、今年も生きていきましょう。
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by higacoch | 2016-01-16 16:23 | ローマ
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