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2015年12月6日

「隠されていた計画」 イザヤ59:12-20、ローマ16:25-27
                              
 今からもう40年も前のことですが、よく覚えています。神学校に入学した年のある授業で、一つの宿題が出ました。「来週までに、『わたしの福音』という題で、レポートを書いてくるように」。「わたしの福音」この宿題に私は四苦八苦しました。そんな中で同級生の一人は、「わたしの福音」というテーマは、誤解を生むので良くないと、長々と批判を書きました。「福音」とは、聖書の「キリストの福音」以外にはないのだから、「わたし」という個人の福音はない、このタイトルは誤解を生むというものでした。今朝の聖書箇所を見ますと彼の批判が的確であったと解ります。パウロは「わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教」(25節)と言っています。まさに、「わたしの福音は、イエス・キリストについての宣教、これ以外にはない」と言っています。パウロが書いた手紙は、15章で終わっているという説があり、後の16章は他の人物か、ある集団(教会)が付け加えたものではないかと言われます。しかし、私はそう思いません。パウロは、手紙を書き終わってしまいましたが、どうしても付け加えたかったのです。それが16章のお世話になった友への挨拶であり、どうしても最後の最後に言いたかったことを書いたのです、「福音はイエス・キリストの福音なんだ」と。
 パウロはこの福音は、「世々に渡って隠されていた。」と言っています。では、完全に隠されていたかと言いますと、そうではありません。神は、時代時代に、神の言葉を告げる預言者を遣わし、彼らは神の言葉を語りました。そうした中で、隠された神の計画が知らされていきました。ですが、人々は預言者の言葉を聞かず、彼らを迫害し、牢屋に入れ、殺害したりしました。こうしたことで、福音の預言が隠されてしまう結果となりました。しかし、歴史の中で預言者の言葉が編集され、「聖書」(旧約聖書)が編纂されました。こうして神の言葉が読まれるようになり、預言されていたメシア出現が再び知らされていきました。イザヤ、エレミヤの預言です。そして預言の言葉通りに、イエス・キリストが誕生されました。こうした歩みは、神からの行動であり、人間の側の動きではありません、父なる神の一方的な思いがあり、神の愛が現わされたのであり、まさに啓示なのです。
 このことはヨハネ第一の手紙4章9節以下に記されています。「 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」。
 だから、パウロは言うのです。「今や」神の計画は現わされ、すべての異邦人に知られるようになりました、と。この福音は、ユダヤ人だけのものではありません。ギリシア人もローマ人も、さらに地球に住んでいるすべての人に、知らされるべき福音なのです。このイエス・キリストの福音から漏れる人はいません。すべての人が救いの対象です。どんな人も、どんな肌の色も、障がい者も、病気の人もです。
こうしたことを教えられる時、わたしたちは、神の一方的な導きにより、神の恵みを頂いていることが解ります。神に導かれ、イエス・キリストの福音を聞き、イエス・キリストの救いを、先に知らされています。イエス・キリストの福音を聞いても心に受け入れられない人がいます。また一度もイエス・キリストの福音を聞いていない人もいます。そうであるなら、わたしたちは、先に救われ、イエス・キリストの福音を知り、生かされていることを覚えて、そうした人たちにイエス・キリストの福音を知らせていく務めがあるのです。このことを覚えて、隣人に仕えて、福音を伝えていきましょう。
by higacoch | 2015-12-12 12:38 | ローマ
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