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2015年9月6日

「真理はあなたを」 詩編65:6-9、ヨハネ福音書 8:31-38
                              
 今朝の箇所では「自由」について語られています。現代人は、自由についてよく取り上げ、この言葉が好きで「自由」「自由」と言います。私の本棚には、世界人権宣言の本があります。戦後3年目の1948年、世界人権宣言が国際連合の総会で採択されました。世界的な戦争をもう二度と起こさないために、そして世界が平和であるためには、みんながお互い、自分と同じ人間だと認めて、その権利をお互いに大切にし合うことが必要だと意見が一致しました。どんなに肌の色が違っていても、民族の違いがあっても、共に人間として、当たり前に生きるための権利が宣言されたということでしょう。この人権宣言の第1条を読めば、大体どんなものかが解ります。そこには「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」とあります。この宣言では、自由権として宗教の自由,表現の自由、集会・結社の自由などがあげられています。そして自由権は内面の自由と外面的な自由があります。内面の自由は、思想の自由、宗教の自由などがあり、外面的な自由は、表現の自由、集会の自由などです。
 さてイエス様はこう言われています。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは、本当に、わたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と。これは裏をかえせば「あなたがたは真理を知らない。知らないから、自由ではない、なぜなら、わたしの言葉に留まっていないからだ」と言うことです。今朝の箇所で、イエス様と対立しているのはユダヤ人、それもファリサイ派の人々です。またこの箇所で、食い違っているのは、もう一つ、「父」についてです。反対者の人たちにとっては、父といったら、アブラハムです。ですが、イエス様が言われるのは「父なる方」つまり神様です。同じ「父」と言いながら、両者はかみあっていません。ですから、どこまで行っても平行線でしょう。 イエス様は、父なる神に遣わされた者として、語っておられますが、、イエス様に反対している者たちは、自分たちはアブラハムの子孫で、昔ながらの言い伝えに従って生きているのだから、アブラハムが正しい人であったように、自分たちも正しいと主張しています。それに対して、イエス様は、父なる神様から遣わされているイエス様の言葉を受け入れず、イエス様を殺そうとしているではないかと。問うておられます。
 ここで重要なことは、イエス様が「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは、本当に、わたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と言われたことです。イエス様の言葉を受け止めて、真理を知り、自由にされることです。ここでの自由は、私が最初にお話しして自由とは、違っています。どう違うかと言いますと、人権宣言の自由は、迫害があるとか、身の危険があるとか、そのような強制的に人間の権利を奪う者から、自由になるということです。しかし、イエス様が示された自由は、自由にされた者が、その自由で、何をするかが問われています。その自由を、パウロは「わたしは誰に対しても、自由な者ですが、すべての人の奴隷となった」(Ⅰコリント9:19)と言っています。そして「自由によって、すべての人に奉仕する」と。そして宗教改革者マルチン・ルターは、この聖句のみで「キリスト者の自由」という本を著しました。これは、「人間の自由」ではなく、「キリスト者の自由」なのです。イエス様の言葉に従い、真理を知り、自由にされた者が、奉仕に導かれていることを含んでいます。
 ルターは、自由にされていない人間と自由にされていく人間との違いを、こんな風にも言い表しています。「自由にされていない者は、自分中心の生き方をする人、他方、自由にされていく人は、他者中心、神様を、隣人を愛していく生き方を求めていく人」だと言います。強制されるのではなく、打算的な欲からではなく、キリストの愛の真理によって変えられた者が、自由にされて行う奉仕なのです。だから、イエス・キリストが教えられた真理は、あなた自身を自由にし、自由に生きるようにするのです。これが、イエス様がおっしゃった真理を知れば、真理はあなたたちを自由にする、ということなのです。パウロは、この自由を実感し、自由とされて、隣人に仕えていきました。このように、真理はあなたを自由にするのです。ここに生きるように、わたしたちは、生かされているのです。
by higacoch | 2015-09-12 16:30 | ヨハネ福音書
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