「イエス様も試練に遭われた」 出エジプト17:1-7、ヘブライ4:14-16
今は、レントの時です。レントは、受難節と言って、イエス様が受難を受けられた、つまり十字架に向かって苦しみの道を歩まれたこと、そして私たちの罪の贖いのために死んでくださったことを覚えて、過ごす期間のことです。その期間は、イエス様が荒れ野で40日間、断食をされたことから40日間(ただし主の日を除く)となっています。今年は先々週の水曜日2月18日からイースターの前日4月4日までです。そして、主の復活を迎えます。 さて、この個所で語られた「試練」は、ギリシア語ではペイラゾーという言葉が使われています。この言葉には大別して二つの意味があります。一つは「試練」であり、もう一つが「誘惑」です。この二つが同じ言葉から訳されるのです。では、ここでは、どちらなのでしょうか。イエス様は、わたしたちと同様に、試練に遭われたのか、誘惑に遭われたのか、どちらなのか。考え始めていったら、よくわかりません。もう少し考えてみましょう。ある出来事を「試練」と受け止めて生きていった時、どうなるでしょうか。ある期間が過ぎてから「ああ、そうだったのか、このことのためにあの試練が遭ったのか。」「ああ、このことのために、あの苦しみがあった」と気づかされます。後になって神様の御旨が解るのです。それに対して、「誘惑」だと思い込んでいたら、どうなるのでしょうか。時がたって、自分にとって新しい苦難に出会うと「ああ、あの時自分は誘惑に堕ちてしまった。だからこんな目に遭うのだ。」と思い込んでしまいます。そして、神様から裁かれたと思い悩むのです。こうして自分で自分をしめつけてしまいます。さらに、こんなことを思う人がいるかもしれません。「俺は、バカだった。あの時、これは誘惑だと気づいていれば、こんな目には遭わなかったはずだ。あの時、もっとしっかりと気づいていればよかったのに。」と自分を情けなく思い、自分を責めるのです。こうなると、心が自分の方にのみ、向いていて、神様に向かわないのです。神様の愛が見えなくなっているのです。15節に「わたしたちと同様に、試練に遭われたのです。」誰が、遭われたのか、それは大祭司、つまりイエス様です。イエス様も、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 このヘブライ人への手紙には、このペイラゾーという言葉が他に4か所に出てきます。そこには「誘惑」と訳されているのは、一つもありません。すべて「試練」と訳されています。そうした中から取り上げてみますと、2章18節、前節から読んでみます。「イエスは、神の御前において、憐み深い、忠実な大祭司となって、民の 罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」とあります。イエス様が試練を受けられたからこそ、試練を受けている私たちの苦しみや悲しみを知って、助けてくださいます。 ヘブライ人への手紙の筆者アポロが言うように「わたしたちには、神の子イエスが与えられているのですから、信仰をしっかりと保とうではありませんか。」「大祭司(イエス様)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではありません。イエスは罪を犯されませんでしたが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(15節)そして伝道者パウロも言います。「神様は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることをなさらず、試練とともに、それに耐え得るように逃れる道を備えてくださる」(Ⅰコリント10:13)と。 最後に、学びたいのです。ここでは、イエス様は神様の子どもだけれども、わたしたちと同じように試練に遭われたと言っています。人間的な苦しみや悲しみや痛みを何も経験されずに、生きていかれたのではありません。否、むしろ、わたしたち以上に、大変な試練に遭われました。それは、預言者イザヤが53章で記しているように、イエス様は、人々に軽蔑され、見捨てられ、多くの痛みを受け、人々からは、神の裁きを受けているから、苦しんでいると言われ、そして、ついには、殺されていきました。これは、私たちが味わう試練どころではありません。それ以上のもっと大きな苦難でした。命まで取られるものだったからです。しかし、イエス様の試練を通して、復活という勝利が与えられました。ここに人間の罪を赦して生かしたいという神様の御旨が示されています。イエス様の十字架の死と復活は、神の愛による大勝利でした。 イエス様は自らの命を捧げて、わたしたちの罪の赦しを為して下さいました。今レントの時、このことを覚え自らの罪を悔い改めて、祈りを捧げてイエス様に感謝して過ごしていきましょう。
by higacoch
| 2015-03-06 11:07
| ヘブライ
|
カテゴリ
全体 創世記 出エジプト記 ルツ記 サムエル記 列王記 歴代誌 エズラ記 エステル記 ヨブ記 詩篇 イザヤ書 ミカ マタイ マルコ ルカ ヨハネ福音書 ローマ 使徒言行録 コリント ガラテヤ エフェソ フィリピ コロサイ テサロニケ テモテ フィレモン ヘブライ ヤコブ ペトロ ヨハネの手紙 ヨハネ黙示録 未分類 タグ
以前の記事
2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||