「誰の栄光を求めるのか」 申命記5:12-15、ヨハネ福音書7:11-24
今朝の個所には、ユダヤ人がイエス様を殺そうと狙っていることが書かれています。その発端は、イエス様が安息日の規定を破ったということでした。それからしばらく経ったときに、秋の祭り、仮庵の祭りがやってきました。これはイスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放されて、荒野で40年過ごしたことを想起する祭りでした。この祭りがたけなわになった時に、イエス様は神殿の境内で人々に、律法の新しい解釈を持って、説教されました。この教えに人々は驚嘆しました。その後、イエス様は「あなた方こそ、安息日の規定を破っているではないか」と問い詰められました。それは割礼の規定と安息日の規定とがぶつかり合っていたからです。割礼の規定では、男の子が生まれた日から八日目に割礼を施さねばなりませんでした。他方、安息日の規定では手の業、すべて禁止されていました。皆さん、よく考えてみてください。男の子が生まれた日から八日目が、もし安息日に当たったなら、どうでしょう。割礼を施すというのは手の業です。ですから、この行為をするということは、安息日の規定を犯すことになります。だから、イエス様は、こう言っておられます。「あなたたちは、安息日にも割礼を施している。人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからと言って腹を立てるのか、うわべだけで裁くのは、やめ、正しい裁きをしなさい。」と教えておられます。 イエス様の教えに人々は驚きました。こうした驚きは、一方では信仰を呼び覚ますきっかけとなりますし、他方では、躓きとなります。信仰へと導かれるなら幸いですが、躓くなら不幸です。こうした局面に立たされると、人は世俗的な反応を取りがちです。この場合もイエス様を正規に律法の学びをしていない不法な者と見下しました。公認の教師ではない、無免許・無資格のイエス様が語る教えは、明らかに公認教師が教える教えとは違っていたのです。ですから、人々は驚いたのですが、躓き、そして軽蔑しました。人間によって作られた教えの構造は、簡単に崩せません。むしろ反発を食らうし、そのような人によって作られた世界に、神の権威など必要としません。世の中というのは、人間の栄光と権威をもって臨めば、すべてがこと足りるような世界なのです。この世にとって、真理が問題なのではありません。権威こそが重要事項なのです。肩書きさえあれば、それでいいという人の世界なのです。 イエス様は、はっきりと「神様の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものであるのか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずだ」と言われています。そして、「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方、神様の栄光を求める者は、真実な人であり、その人には不義がない」と言われています。世の中にあって、自分の栄光を求める者は、自分の思いを、自分の言葉を語る、そして、権威の中心にいようとします。自分が中心となって、そこに留まり、自分の栄光のために行動します。しかし、イエス様は、言われました。神様の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものであることが、分かるとおっしゃっています。 今、中東では報復からの戦争が起っています。今やヨルダンの人々は、イスラム国に対して憎悪の念を燃えあがらせています。こうした憎しみの感情はとても抑えにくいものです。このような報復によってエスカレートする争いをなんとか食い止めようとして、約4千年前の中東の古代バビロン王の命令で法が作られました。それが有名なハムラビ法典です。この法典の有名な戒め「目には目を、歯には歯を」は、報復に燃える人間の情を、法律で禁止した画期的な法典です。なぜなら、人は歯をやられたら、歯だけでおさまらず、それ以上にやり返していくからです。これを厳禁したのです。そうしないと、悲劇が増大していき、戦争となっていくからです。 主イエス様は、人を憎み、殺すことを許されませんでした。イエス様は「あなた方は聞いている通り、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく」と言って、同量の復讐をしてはならないと教えられ、さらに「誰かが右の頬(ほお)を打つなら、左の頬を向けなさい」と教えられました。これは、わたしたちにはできない大変なことですが、進むべき道をはっきりと示されたのです。その後、イエス様は自ら十字架刑にかかり死んでいかれました。その時も十字架の上で人々の罪の赦しを求めて祈られました。まさに自分の栄光ではなく、神様の栄光を求めて生きていかれたのでした。このことを覚えたいのです。だから、わたしたちも小さな歩みであっても、神様の御心を知って神様の栄光を求めて生きていく歩みでありたいと祈り願います。 今、中東で起っているのは、人が人を殺し合う戦争です。戦いが一日も早く終結し、平和的な歩みを見出していけますように祈りましょう。
by higacoch
| 2015-02-13 10:56
| ヨハネ福音書
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