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2015年1月25日

 「婚礼」      出エジプト記 33:12-17、ヨハネ福音書 2:1-11
                               
 結婚を、カトリック教会では教会で行う「礼典」の一つと考えています。プロテスタント教会が礼典として大事にしていることは、洗礼式と聖餐の2つだけですが、カトリック教会は、結婚式も教会が行う大事な式の一つと考えています。イエス様は、マタイ福音書19章で、結婚について「男は父母と離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という言葉を取り上げて、「だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と続けられました。人が離してはならないのです。ここで、人というのは、あらゆる人です。身近な人から考えると、両親たち、その兄弟、親戚であり、また結婚○○年の場合なら、二人の間の子ども、その他にも、友人や会社の同僚、上役など、どのような人であれ、これを離してはならないということです。そして、もちろん本人たちもです。イエス様は夫が安易に離縁状を出して、離婚することを戒められました。
 イエス様はガリラヤの片田舎のカナという村で婚礼がありました。当時のユダヤの婚礼はほぼ1週間続きます。イエス様の一行がそこに着き、共にお祝いしていた時、祝いの酒が切れてきたので、心配した母マリアは、イエス様に「ぶどう酒が、なくなりました。」と声をかけました。酒をなんとか調達してほしいという思いだったのです。それを聞いたイエス様は、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。私の時は、まだ来ていません。」と一見冷たい返答をされました。でもマリアは、召し使いたちに「この人が、何か言いつけたら、その通りにしてください」と言っています。「これは、どんなに大変なことでも、この人が言ったことは、聞き流さないでください。言った通りにして下さい」ということだったのです。イエス様が、どんなことを言うのか、どんなことを要求するのか、解りません。しかし、マリアは「この人が言うことをきちんと聞いて、実行して欲しい」と、 頼んでいます。マリアは、召し使いたちにこのことだけを言った後に、奥に行かれたのでしょう。
 そのあと何があったのかを聖書は語っています。イエス様が召し使いたちの所にやってきて、「ここにある水がめ6つにいっぱい水を入れてください。」と願われました。この水がめは、石でできていた大きなかめでしたので、かめを運んで水を汲んでくることはできません。2ないし3メトレテスが入る水がめということなので、(メトレテスは、量を示す単位で、1ミトレテスは、約40リットル)2、3メトレテスですから、中間をとっても1つ100ℓ、6つですから600ℓです。
 ここで考えたいのです。水量は600ℓ、普通のバケツでは60回汲んで運ばなければなりません。召使いが2人と考えたら、30回運ぶ重労働ですが、召し使いたちは、言われた通りに行いました。それを味見した世話役は上等の葡萄酒だと言いましたが、この葡萄酒がどこから来たのか、知りませんでした。知っていたのは、召し使いたちです。こうして、イエス様は、ここカナの村で、最初のしるし、奇跡を表されました。
 婚礼という場で、水がめの縁までいっぱいの水が、葡萄酒に変わる奇跡が行われ、そこにいた弟子たちは、神の栄光を見て、イエス様を信じたとあります。ただの水が葡萄酒に変わった、これは水が葡萄酒にイエス様によって変えられたということです。水というのは、イエス様に従っていた弟子たち、また信仰者たちを暗示していると言えます。その人たちが、イエス様に従うことで変えられていくということをあらわされたのではないでしょうか。イエス様は、このカナの婚礼の前日に、ナタナエルを弟子とされています。その際にも「あなたは、もっと偉大なことを見ることになる」とナタナエルに言われているのです。まさに、ここに偉大なこと、しるしを表されています。そして、この最初のしるしを栄光と呼ばれています。その栄光を見て、弟子たちは、イエス様を信じたのです。イエス様はマリアに、わたしの時は来ていない」と言われています。それは、これから一つ一つ神の栄光を表しながら、その「わたしの時」を用意されたということです。神様の栄光は、イエス様の言葉に、従って生きる途上で与えられる恵みなのです。
by higacoch | 2015-01-31 10:43 | ヨハネ福音書
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