「権威について」 詩編68:33-36 ルカ福音書 20:1-8
今朝、与えられましたルカ福音書の聖書箇所の小見出しには「権威についての問答」とあります。そこで「権威」とは何かと国語辞書で調べました。そこには「優れた者として他人を威圧して自分に従わせる威力」、また「下の者を抑えつけ、従わせる力」とありました。 さて、聖書の中に出てくる祭司長、律法学者たちは、当時、権力をふるっていました。ユダヤの社会は、宗教社会であり、宗教者が権力をふるっていました。ですから大祭司の権威が最大で絶対的なものでした。最初イエス様はガリラヤ湖周辺の町や村で伝道されていました。しかし、最後の伝道場所は都エルサレムの神殿の庭でした。そこは権威ある大祭司がいる場所であり、イエス様と大祭司とぶつかる問題が生じました。 過越しの祭りの時には都エルサレムに何十万人という巡礼者がやってきました。彼らが向かったのは神殿、そこで神様への捧げものをするためです。牛、羊、鳩、スズメなどの動物を捧げました。その動物は汚れも傷もないものでなければなりません。ですから巡礼者が連れてきた動物は、ほとんど検定員にはねられました。神殿内には既に検定済みの動物が用意されていて、それらは市場の価格の5、6倍もしました。巡礼者たちは、それらの動物を買い、捧げていました。また神殿で捧げるお金は、ユダヤの硬貨シェケル銀貨と決められていて、外国の硬貨を必ず両替をしなければならず、高い手数料が取られていました。両替人も同じような手口で金儲けをしていたのです。こうした商売が神殿内で公然と行われているのを目の当たりにしたイエス様は、烈火のごとく怒り、彼らをその場から追い出されました。今朝の箇所の前日にそうした事件があったのです。それでこの日、神殿内の権力を持つ権威者たちが、イエス様の所にやってきて「あなたは何の権威で、あのようなことをしたのかと、またそうする権威を誰から与えられたのか」と詰問してきました。神殿内で特別な行動をする時には、大祭司の許可が必要でした。ですから彼らは大祭司から遣わされたのでしょう。こうした彼らの詰問に対して、イエス様も一つだけ質問したいと言われ「ヨハネの洗礼は、天からのものだったの、それとも人からのものだったのか。神からのものか、人間からのものか、どちらか。」と問われました。すると、彼らは皆で相談しました。正しい答えを見出すためではなく、自分たちが窮地に陥らない答えを見つけるためでした。そしてその答えを見出せなかったので「解かりません」と答えました。イエス様の問いに対して真摯に答えていません。そこでイエス様も「私も答えない」と言われたのです。 イエス様の伝道場所は、今や田舎のガリラヤ地方ではなく、最高権威者がいる神殿でした。そこでイエス様の教えと行動は、はっきりと唯一の権威者大祭司と対立しましたので、権威の問題へと集約されて行きました。それはいみじくも彼らが質問した問いに現れています。あなたの行動は何の権威によるものか、しかもその権威を誰から与えられたのか、です。 権威については、いろいろな分野で言われます。ここでは宗教的かつ政治的な権力による権威であり、神殿内では大祭司が権力を奮っていました。こうした大祭司の権威は誰も打ち消すことができない力がありました。もしその権威を持つ者が権力の盲者になったならどうなるのか、そこにはその権力者が考えている国が作られていくでしょう。神の、と言われても、神の国とは似て非なるものなっていくのです。 日本も戦前、天皇制の時代、天皇の権威を否定することはできませんでした。そしていつしか天皇制による軍事国家になっていき、戦争に突入していきました。こうした事を踏まえて、歴史を顧みる時、国家権力をもつ権威は、限定的なものでなければならないでしょう。神によって限定され、地上の権威は相対化されなければなりません。どうしても絶対ではありえません。 イエス様に立ち向かった祭司長たちの誤りは、彼ら自身の権力的な立場とそこに作られる権力構造を守り続けることに固守したことであり、神様が為されようとされていることを認めようとしなかったことです。神の国の到来とその救いに預かることは、権威によって拒否できないものです。そして人の救いは、地上の権威を超えて与えられます。だから、地上の権威は、神の救いを阻むことはできないのです。 神様が為された救いの業を、地上の権威でつぶすことはできない、むしろそれを認め、かつ正当に受け止めなければならないとイエス様は求められたのです。そして、堕落して権力構造化した神殿を清められました。 神殿・神の家は、すべての人の祈りの家でなければなりません。教会も人間が作り出す権威を第一とするのではなく、神様を第一とするものでなければなりません。そうでないと堕落してしまいます。そうならないためにもイエス様の言葉に聞いて、教会形成していかなければなりません。
by higacoch
| 2014-11-14 09:58
| ルカ
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