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2013年8月25日

「心からのささげもの」
          詩編119:76-80、マルコ福音書12:41-44
 
                             
 これは都エルサレムにあった神殿内の出来事です。神殿には異邦人の庭、婦人の庭、男子の庭と幾つかの庭がありました。そうした庭は、名前が示すように、異邦人は異邦人の庭までは入れましたが、その奥に通じる婦人の庭には入れませんでした。そしてユダヤ人は男女を問わず婦人の庭に入って行くことができました。しかし、女性はそこまでで、その奥にあった男子の庭には入ることはできませんでした。今朝の聖書の場面はこの婦人の庭での出来事です。この庭はかなり広さがあり、6千人が入れたと言われますが、献金箱が13個設置されていました。日本のような木製の賽銭箱ではなく、金属製のラッパ型であり、それを立てたように、入り口が大きく下に行くほどに細くなっているものが並べられていました。ラッパ型の賽銭箱が庭の隅に周囲を囲むようにありました。それぞれの賽銭箱は指定されたお金を入れるようになっていて、第1番目には神殿税を、二番目は前年度に滞納した税金を、三番目は鳥の捧げものの代金を、とそれぞれ決まっていました。そして今朝の箱は13番目であり、ここは自由献金を捧げるためのものでした。
 人々は、賽銭箱に献金する者たちを見ていたとあります。イエス様の弟子たちも同じように見ていたでしょう。大勢の金持ちが、たくさんのお金を入れました。彼らは賽銭箱に入るお金がジャラジャラと長く大きな音を立てて落ちていくのを満足気に聞いていたでしょう。自分を誇るような思いを持って捧げたのかもしれません。そうした様子をイエス様はじっと見ておられました。金持ちたちが多くのお金を入れる中にひっそりとやってきた女性がいました。私が想像するに、お金持ちたちはほとんどが男性たちで立派な服を着ていたのではないかと思います。そんな中でこの婦人はみすぼらしい服で手に持っていた銅貨2枚を捧げたのです。今でいったら100円硬貨2枚と考えていいでしょう。
 貧しいやもめが捧げたすぐ後でイエス様は、弟子たちを呼び寄せて「はっきりと言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。」と言われました。これを聞いた弟子たちはびっくりしたと思います。しかしイエス様は、その理由をちゃんと言われました。「みんなは、有り余る中から入れたが、この貧しい人は乏しい中から自分の持っている物すべてを入れたからだ」と。「あまった中から入れた。」このことはいろんな必要な物、欲しい物を買った後、手元に残ったものから捧げたということ、つまり残りのものから捧げたのです。他方、やもめは、まず神様にささげたと言えます。
 こうしたことから、この個所は教会では献金のアピールのために取り上げられたりします。「皆さん、やもめは精一杯の捧げものをしました。皆さんもこの人のように精一杯の献金をして下さい」と。私はこの個所をこのようにだけ取り上げるのは、間違っていると考えています。その第一の理由は、イエス様は、やもめの捧げものを褒め、弟子たちに「あなたがたも、そうしなさい」と言われていないからです。命令も、勧めもされていませんし。献金するようにと促しておられません。
 私は、やもめの捧げものは、心からの捧げものだったと信じています。イエス様はこの人の捧げものに感動されています。というのは、イエス様はこの日、どんな思いの中におられたのでしょうか。ここでの出来事は受難週の火曜日に当たりますから、三日後には、イエス様は十字架にかけられます。ですから、イエス様は自らを捧げる覚悟を内に秘められておられました。自らのすべてを捧げる覚悟、命までも捧げる思いでした。そうした中で、このやもめの捧げものを見られたのです。ここにすべてを捧げている女性がいる、このことを知って、すぐに弟子たちに宣言されたのです。「この貧しいやもめは、だれよりも多く入れた」と。これは、この人が貧富の状況を越えて、自らを捧げた、心から捧げたということだと思うのです。イエス様はこのことを弟子たちに知らせたかったのです。この人の捧げものは、この時が初めてであったかもしれません。でもこの人は心からの捧げものをしたのです。 私たちもこの女性が捧げたもの、その献身をしっかりと学ぶべきです。
 神様は、最も大切な独り子なるイエス様を与えられました。これは、私たちを救うためでした。神様は命を与えるほど、私たちのために御子を捧げて下さるほど、私たちを愛して下さったのです。それはわたしたちが神様の愛を知って生きるようになるためでした。そしてイエス様は、神様の御旨に従って、自らの命を、すべてを捧げて下さいました。この捧げものによってわたしたちの罪は赦されて、生かされているのです。このことを覚えて私たちも小さくても心をこめて神様の恵みに応答して、隣人を愛して生きていきたいと願うものです。
by higacoch | 2013-08-31 17:46 | マルコ
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