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2010年11月14日

「確かな約束」 創世記15:1-6, ヘブライ6:13-20
                           
 先週はアブラムが神様の言葉を聞き、従って旅立ったことを学びました。アブラムは父のもとから旅立ち、神様が示す地に向かって歩み始めました。その途上でいろいろな経験をします。アブラムもそうでしたが、人はどうしても、今までの生活、今までの環境、今までの慣習など慣れた生活が安心であり、新しい一歩を踏み出すのには勇気ある決断が必要です。そこにおいて、アブラムは神様の言葉を聞き、それに従って旅立ちました。単なる人間的な決心ではありません。このことは私たちが、神様の言葉に動かされて、新しい歩みを始めることにも通じると思います。わたしたちも神様の言葉に促されて、新しい歩みをし始め、その中でいろいろな体験をします。
 アブラムは、新しい歩みを神様の言葉に従うことで始めました。その時、神様はアブラムに「わたしはあなたを大いなる国民に」すると言われましたが、アブラムがそれをどのように理解したのか定かではありません。しかしアブラムは主の言葉に従って旅立ち、神が示す地に向かって出発しました。そして旅の途上で、主が再びアブラムに臨まれました。「恐れるな、アブラムよ」と呼びかけ「あなたが受ける報いは、非常に大きい」と言われました。アブラムは、その言葉が良くわからなかったのでしょう。すぐに尋ねています。「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがありません。家を継ぐのは、ダマスコのエリエゼルです。」と。これは「私はもう年です。もう長く生きることはできません。あなたは、私の受ける報いは、非常に大きいと言われますが、よくわかりません。わたしには子どもがありませんので、私の家を継ぐのは、エリエゼルなのです。」という訴えです。彼の心には、どうしても腑に落ちないものがあったのでしょう。ですから、すぐに続けて「あなたはわたしに子孫を与えて下さいませんでしたから、家のしもべが、跡を継ぐことになっています。」とわざわざ説明をつけ加えています。どうしても気になっていたことだったのです。
 すると、すぐに主からの答えがありました。「あなたのしもべであるエリエゼルが、あなたの跡を継ぐのではない。あなたから生まれる者が跡を継ぐのだ」と。そして主なる神様は、彼を外に連れ出しました。アブラムが悩んでいたのは、夜だったと思い知らされました。私たちも夜によく悩みます。神様を信じて、これからどうなっていくのだろう、周りにますます難しい問題が起こってきている、まだ解決の道が一向に見えない時、夜に一人悩み、眠れないまま過ごすことがあったりします。アブラムもそうだったのでしょう。ずっと気になっていたことがある、うまく道が開けるようには全く見えない、見えないまま時が過ぎていく。ですから、自分の気になっていることを神様にぶつけたのです。すると、神様は、「外に出なさい」、あなたがいる天幕(テント)から出なさいと言われました。そして「天を仰いで見なさい。星を数えることができるのなら、数えて見なさい」と。私はここを読むと感動します。神様が、どんなにアブラムを愛されているのかを感じるからです。疑い迷うアブラムに対して、そのアブラムを叱るのではなく、また黙ってついて来なさいと強制されたのでもありません。アブラムに声をかけ、彼にも良くわかるように示して下さっています。「夜空の星を数えてみなさい」。アブラムには夜空の星を数え上げることはできません。それほど神様からの恵みが多いと教えられます。
 アブラムは、数えきれない多くの星の輝きを見上げ、非常に多くの星の光を観たでしょう。そうしたアブラムに神様は語りかけます。「あなたの子孫は、このようになります」と。アブラムは感動したと思います。数えきれないほどの星の数、そのように子孫が与えられるという、神様から約束の言葉を頂いたのです。そしてアブラムは、主なる神様を信じました。神様は、そのアブラムの信仰によって受け止めたことを、「義」と認められたのです。ここでアブラムが神様に誉められるような行動をしたというのではありません。神様が示して下さった約束をただ信じて、心から受け止めたのです。ここで何か完成したのではありませんが、神様を信じ、神様が約束をしてくださったことを受け入れたということです。このアブラムの信仰を、ヘブライ人への手紙の著者は、取り上げて、語っています。「アブラムは神から約束されたものを根気よく待ってそれを得た」と。
 私たち一人一人は、神によって愛されて命が与えられています。そして生かされています。どんな人も価値ある者として生かされているのです。神は預言者イザヤを通して救い主を与えると約束されました。その約束は、確かなものとして与えられたのです。それはヨハネ福音書に「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためであった」とある通りです。私たちを生かすため、その恵みに生かすためだったのです。
 アブラムが信仰をもって、神の約束を信じて歩んだように、私たちも信仰によって、約束を信じて歩み続けるものでありたい。そこにおいて神の祝福を頂けるのですから。
by higacoch | 2010-11-20 17:37 | 創世記
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