2013年6月23日

「創造された世界の秩序」 創世記1:1-31、Ⅰコリント4:1-2
                            
 私は昨年の6月に福島県相馬市にある原町教会に、除染ボランティアに出かけて、セシウムの値が高い場所、牧師館の庭の表土、最低5㎝を除去する作業をしてきました。5㎝と言いながらもより安全のために10㎝位、表土を削り取ったものをズタ袋に入れて、その数400袋位になりました。
 さて、この世界、大地、空、山、海、川などは神様の創造によるものです。この地は初め混沌であり、闇が覆っていました。そのような中にも神の霊はありました。そこで神様は「ひかりあれ」言われ、すると、そのように「光」が創造されました。そしてその光を見て「よし」とされました、これは神様にとって「光」が良いものであったということです。それから一日一日、一つ一つを創造し、最後の6日目に、神様は自分に似せて人間(男と女)を創造されました。こうして天地のあらゆるもの、生き物を創造されました。創造された後に、神様は、その創造したものをすべてご覧になって極めて良かったと喜んでおられます。このことはすべての創造物だけではなく、創造の秩序をも含んで良いものでした。すべての創造物の秩序も良いものであったということです。そして、神様は彼ら(男と女)を祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じられました。この「支配せよ」と言うのは、上から支配することではなく、「仕えよ」という意味があり、創造されたものに仕えながら、かつ管理することが求められているのです。
 私たちのカンバーランド教会は20世紀の後半になって初めて、私たちの信仰告白のなかに、クリスチャン・スチュワードシップという項目を入れました。これは「キリスト者の管理の務め」として訳され、自然の被造物、また生物なども含めて、キリスト者がよき管理をすることが求められています。その最初には「キリスト者の管理の務めは、すべての命と創造物は、神から委託されたものであり、神の栄光と奉仕のために用いられるべきことを承認することである。それは、人間の技能や力を創造的に用いるだけではなく、天然資源を保護し、責任をもって用いることである。これらの神からの賜物は、すべての人、特に貧しい人々と分かち合うものである」とあります。ここにすべての命と創造物は、神から委託されたもの、神の栄光と奉仕のために用いられるべきとあります。それがどうでしょう。神の栄光のためではなく、人間の栄光のために用い、奉仕のためではなく、むさぼりのために使われ、かつ不要となれば、勝手に捨てられたりしました。それ以前は、神様が創造された世界では、それぞれの創造物が、時と共に死を迎え、土に帰っていきました。土に還らないものはありませんでした。しかし土に還らず、分解されないものを人間が造ってしまいました。それはゴミです。そして今や「原発のごみ」「核のゴミ」が大きな問題となっています。このゴミは人間が扱えないものです。処理できないので地中深く埋めたり、自分の国では危ないので、外国の地に持って行き、地下深くに埋めるとかの計画がなされていますが、これは危険物をただ目に見えなくしているだけなのです。
 私が福島の地へボランティアに行った時、早朝に原町教会の周辺を散歩しました。近所の農家の庭の果実は収穫されずに、そのまま放置されていました。また畑も放置されて、草ぼうぼうでした。草を取ることも、耕すことができない様子でした。もっと放射能汚染が高い地域では、人も動物も住めないし、田畑の作物の収穫物も出荷できません。まさしく死の畑、死の村となっているのです。核のゴミは、死の霊のようなもので、その死の霊がただよった所のものは、死んで行くのです。こうしたものをゴミとして産み出すことは、神様が創造されたこの世界を死の世界としていくことです。神の栄光のためには決してなりません。その逆なのです。
 伝道者パウロは、コリントの教会にあてた手紙で、「わたしたちは憐れみを受けたものとして、この務めを委ねられているのですから、落胆しません。」と言っています。私たちの歩みの中には、いろいろな滅びに通じる道があります。自然破壊の道も、そうした道だと思います。そうした道へと、私たちは歩むべきではありません。そうではなく、この自然を、天地万物を創造された神様をほめたたえて、神様が与えて下さった創造の秩序をしっかりと受け止めて、託された務めを果たすようにしていかなければなりません。小鳥たちや草花が、創造され、生かされ、神様を讃美しているように、私たちも創造主なる神様をほめたたえて生きていきたいものです。そのためには、創造の秩序を壊す、特に、今日、原発における核汚染を進めてはならないのです。神様の創造の秩序を覚えて賛美することは、それを壊すものには、はっきりとNoと言わなければなりません。このことは、キリスト者の管理の務めとして為すべきことです。神様によって創造され、管理の務めを託された私たちは、神様の栄光のために、被造物を用いるのであって、人間の栄光のために用いるべきではないのです。神様の創造の秩序を壊すことなく、神様から与えられたものを生かし、生きていくことが、託された務めを果たす道だと信じています。
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by higacoch | 2013-06-29 11:49 | 創世記
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