「究極の望み」 詩編104:24-35、Ⅰコリント15:35-58
今日与えられました聖書箇所はよく葬儀の時に取り上げられます。その理由はここに記されていますように、人は死んだ後、どうなるのかということが書かれているからです。「朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」とあります。朽ちるものは朽ちると言っています。朽ちるもの、それはわたしたちの肉体です。ですが、パウロはそれだけを言っているのではありません。死者の復活を言い、朽ちる者が朽ちないものに復活し、また卑しいものが輝かしいものに、弱いものが強いものに、自然の命の体が、霊の体に復活するというのです。ここには希望があります。死がすべての終点ではありません。死を乗り越えた希望があります。愛する人が召された時、遺族や友人には別れの悲しみがあります。死に直面し、どうすることもできない悲しみが込み上げてきますが、そのような親族や友人の上に、慰めが与えられています。それはこの地上の死が最後ではなく、悲しみの中にも復活の希望が与えられ慰められます。ですから、私も葬礼拝で何度もここを取り上げて説教しました。 復活と言うのは、人が死んだ後のことですから、捉えどころがありません。普通で考えたら、解らないのです。さらにこれをまともに語り出したら、信じられないことですから、馬鹿馬鹿しいと言われたりするかもしれません。パウロが知恵の国、ギリシアのアテネで伝道した時もそうでした。使徒言行録に記されていますが、人々は最初パウロの説教に耳を傾けて聞いていましたが、最後の方になって、パウロがイエス・キリストの復活の出来事を語り出しましたら、ある者はそんなことがあろうかとあざ笑いました。またある者はそんな話は聞きたくないと言わんばかりに、復活の話は、いずれまた聞くと言ってその場を立ち去ってしまいました。 この出来事は、とても象徴的だと思います。それは復活の出来事は人間の知恵では信じられない、不可能だということです。しかし、キリストの福音を語る以上、この復活の出来事を語らないわけにはいきません。伝道者パウロは、はっきりと言っています。「もしも死者の復活がなければ、キリストの復活もなかった。そしてキリストが復活しなかったら、わたしたちの福音宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄だ。」と。 イエス様の弟子たちが、約束された聖霊を頂き力を得て語り出した時も、そこで語ったことは、イエス様の復活でした。弟子のリーダ―であったペトロが立ち上がって大胆に、「神はイエス様を復活させられたのだ、わたしたちは皆、そのことの証人だ」と言っています。このように、弟子たちもイエス様の復活を宣べ伝え、説教しました。 パウロは、もしイエス様の復活がなければ、私たちの宣教は空しいし、信仰も空しいと言いました。もしもイエス様の復活がなければ、これまで苦労を重ねて伝えてきた福音宣教の働きも無駄だと言いきっています。パウロは愛のない信仰は空しいと言いましたが、復活のない信仰はそれこそ全く空しいと言うのです。こうしたことからキリスト教は、キリストの福音を伝えますが、その真髄はキリストの復活だとするなら、復活教と言っても言いかもしれません。 復活の出来事は、人間の知恵では決して知り得ることができないことなのです。では、どうして復活を知り得たかというと、神がイエス・キリストの復活を通して示して下さったからです。だから、ペトロもパウロもキリストの復活を語り得たのです。 復活の命は死に勝利しました。この勝利を救い主、キリストによって神が与えて下さったし、これからも与えて下さいます。この復活の命の約束が約束されているのです。だからパウロは「主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」と語っています。 これがわたしたちに与えられている死を乗り越えての勝利です。この約束が神によって与えられています。これこそ死を越えてわたしたちに与えられている望み、究極の望みではないでしょうか。この望みをパウロは、手紙を書き終える前に伝えたかったのです。この望みを信じて、今の持ち場で、主の業に、常に励みなさいと勧めています。 どっちつかずの信仰に揺れることなく、この勝利を見上げて、復活の命の信仰に固く立って、主につながる歩みをしていきたいものです。そこで為される業は決して無駄にはならないのですから。それがどんなに弱く、小さくても無駄にはなりません。復活の命の約束を信じつつ、今おかれた所での務めを果たして歩んでいきましょう。
by higacoch
| 2012-09-07 16:28
| コリント
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