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2012年6月24日

「 あなたを愛された神 」  詩編99:1-9、ヨハネ福音書3:16 

 今朝は皆様と共に讃美礼拝を捧げることができ、大変嬉しく思います。元々讃美礼拝を捧げることになったのは、私が赴任した2006年秋の教会懇談会で「明日の教会形成のために」というテーマのもとに、皆様に教会で何を行いたいかというアンケートを取ったことからです。そこに皆様からの要望としてもっと神様への讃美をしたいとありましたので、その翌年(2007年)から讃美礼拝を始めました。ですから今年で6回目となります。今年は「私たちの教会」カンバーランド長老キリスト教会を覚えての礼拝にしようと讃美委員会で決めました。私たちは、カンバーランド長老キリスト教会という教派の群れに属しています。(先週、私たちの教会の最も大切な会議である総会がアメリカのアラバマ州のフローレンスという地で月曜日から金曜日まで行われました。)
 私たちの教会は1810年2月4日にアメリカにおいて創立されました。先ほど讃美しました「カンバーランド・プレスビテリアン」の歌にありましたように、3人の牧師が徹夜の祈りを捧げることによって押し出されて新しい教会が生み出されていきました。その3人が祈ったという丸太小屋の絵が、この礼拝堂の後方の壁の上の方に掲げてありますので、ぜひご覧ください。このことを記念する丸太小屋が今もテネシー州ディクソン郡の州立公園内に建てられています。2年前の2010年に創立200年祭をその場所で行い、多くの人が集まってお祝いしました。その当時の服装をし、またその当時の説教をまねて説教がなされたりしました。このように私たちの教会はほぼ200年の歴史を刻んでいます。
 創立当初、最初の3人は、新しい教派を創ろうという思いはありませんでしたが、その後の状況で新しい教派を創り出すことになったのです。この19世紀初頭のアメリカではリバイバル(信仰復興)運動が盛んで、信仰者が多く起されていった時代でした。そのような中で福音を語る伝道者が不足していた時代であり、特にケンタッキー州とテネシー州にまたがるカンバーランド地方と呼ばれた地域は「聖書地帯」とも呼ばれ、リバイバルが盛んな場所でした。この地域で私たちの教会は誕生しました。そこで地名を取って、カンバーランドと言う名を冠したのです。そして、最初の3名の牧師たちはアメリカ長老教会の牧師でありましたから、長老教会の教会政治をもって教会形成を行って行きました。こうして私たちの教会は二つの特徴をその名に大きく教派の名前に用いました。一つは誕生した場所から「カンバーランド」、もう一つが「長老教会」の流れを汲むということから、こうして「カンバーランド長老キリスト教会」と呼ぶようになったのです。
 私たちの教会は当初から伝道に熱心な教会でした。こうしたことから私たちの日本中会の福音を伝える宣教理念でこう宣言しています。「カンバーランド長老キリスト教会は、フロンティアの教会です。私たちは宣教のフロンティアへと赴き、キリストの福音を人々に分かちあうことを自らの使命とします。」また、宣教方針の最初に、「私たちは、隣にあるまだ福音を伝えられていない所へ出かけます。」と掲げています。
 私たちの教会が、日本で宣教を始めたのは、1877年、明治10年。J.B.ヘール氏が最初に日本に宣教師として来日しました。キリシタン禁令の高札が撤去された4年後です。その翌年、お兄さんのA.D.ヘール氏がやってきて、兄弟で大阪、和歌山、三重の紀伊半島を伝道していき、多くの教会を設立していきました。また初期の20年間に、合わせて20名位の人たちが来日していて、その多くが女性たちでしたが、彼女たちの働きで、大阪女学院、また名古屋の金城学園などの設立に大きな働きをしました。他にも信徒たちによって河内長野の清教学園が建てられていきました。このように教会、学校を立てて伝道していったのです。
 それらの教会は、その後日本キリスト教団や、その他の教派の中に移っていったりして、現在の日本中会の教会には所属していません。現在の私たちの教会の群れは戦後からで、現在日本中会には14の教会があり、そのうちの1つがブラジルにあります。本日は、また私たちの教会での「ミッションサンデー」でもあります。今年のテーマは「伝道所、伝道教会を支援する」であり、「あさひ」「市川グレース」の伝道所と「泉」、「田園」、「マッタ」の伝道教会の活動、福音宣教と教会形成のために、共同の祈りを合わせます。 
 教派の教会には、それぞれの信仰告白があります。私たちの教会も1810年に誕生し、4年後の1814年に最初の信仰告白を言い現しました。そして後、ほぼ70年経った1883年に、新たに信仰告白を言い現しました。そして現在、1984年に信仰告白したものがあります。
 現在の「信仰告白」の最初に、今朝読みましたヨハネ福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された」が記されています。私たちはこの聖句にキリストの福音が凝縮されていると信じているのです。「神様が、その独り子、これはイエス・キリストを表していますが、その独り子をお与えになったほどに愛された」と言っています。イエス様は、私たちの罪を贖うために、自らの命を捧げられました。十字架の上において死んで下さったのです。私たちの教会は、この出来事が、すべての人のためであったと信仰告白し始めました。私たちだけではありません。すべての人です。求道者の方々にも、「イエス様はあなたを愛された方だ」と言えます。私たちは、この方を知らせることができます。「あなたのために十字架にかかり、あなたを命をかけて愛して下さった」のだと。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と、イエス・キリストを伝えていくのです。
by higacoch | 2012-06-30 15:53 | ヨハネ福音書
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