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2011年3月6日

「あなたたちを救うために」 創世記45:1-15。ヨハネ福音書 3:17

 先日私は映画「インビクタス」を観ました。1995年、今から16年前のことですが、その年にラクビーのワールドカップが南アフリカ共和国で行われました。その前年に、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に選ばれ、就任しています。彼はそれまでアパルトヘイト(人種隔離政策)を取ってきた国家に対して、反対運動をして反逆罪とされ、27年間獄中生活を強いられていた人ですが、アパルトヘイト撤廃後、初めて白人、黒人を問わず、すべての人たちによる大統領選で選ばれました。人々からは「選挙には勝ったが、果たして国を率いていけるか」と揶揄されたりしました。この映画では、マンデラ大統領がどのように国づくりをしていったのかが、事実にもとづいて、ラクビーチームの成長と共に描かれています。マンデラ氏は今までの黒人に対する迫害に復讐することなく、融和政策をとって国造りをしていきました。この映画は、人間が持つ復讐心に対して、インビクタスー負けない者たち、負けずに、赦し、愛によって勝利しているのを、教えているなあと思いました。
 さて、今朝の箇所に記されているエジプトの大臣、ヨセフも長い間、獄につながれていました。そうなったのは兄たちの仕打ちー穴に投げ捨てられ、そして奴隷として売られたことに端を発しています。その後、ヨセフは数奇な運命を辿り、エジプトの大臣となります。彼はその権力によって兄たちに復讐したのでしょうか。そうではありません。むしろ、赦して兄たちと新しい関係を築いて生きていきました。今朝の箇所はヨセフ物語のクライマックスの部分です。ヨセフは兄たちと会って、兄たちが変わっていることを知りました。自分を犠牲にして弟の代わりになり、父を守ろうとする兄ユダを知って、ヨセフは平静を装うことができなくなっています。ヨセフは自分の家来たちに部屋から出るように命じると、「わたしは、ヨセフです」と告白し、声を上げて泣いたのです。泣き崩れました。兄弟たちはあまりの出来事に声も出ませんでした。「わたしは、あなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。わたしをエジプトに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。なぜなら、神が命を救うために、兄さんたちよりも先にここにお遣わしになったのです。神がわたしをみんなより先にお遣わしになったのです。そうされたのは、兄さんたちを生きながらえさせ、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは神なのです」と。
 ヨセフはここではっきりと何度も神が、神が、と言っています。こうしたことで解るのはヨセフ自身も変えられているということです。少年時代のヨセフは夢を見ると、「わたし」の束が起き上がり、「わたし」の束に兄さんたちの束がひれ伏したと言っていて、私が中心でした。それが今や神中心となっています。
 ヨセフは過去のヨセフではありません。兄たちから受けた仕打ちに、仕返しをして生きようとしたのではなく、神による大きな計画の中に生かされている自分を知り、神の恵みの中に生かされていたと証ししています。ヨセフは変えられて、神様による救いの計画をはっきりと信じ受け止めて、兄たちにはっきりと言っています。「命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです。神がそうされたのは、あなたたちを生きながらえさせて、救いに至らせるためだ」と。ここには、ヨセフの赦しの愛が表されています。兄たちを赦して、新しい関係に生きる歩みをしようとしていることが解ります。そしてそれよりももっとヨセフが言おうとしていることは、私を先にエジプトに遣わされたのは、神様だということ、そして、自分の人生は兄たちを救いに至らせるために与えられた人生、神様の救いの計画の中にある人生を歩んだのだと言うことなのです。
 ですから、ヨセフ物語は神の救いの物語だとも言えます。神が、罪を犯し、兄弟が憎み合い、殺しかねないほどであった者たちを新しい関係に生きるように導かれた救いの物語なのです。
 そして私たちは、旧約聖書のヨセフ物語を読み、新約聖書を読んでいく時に、私たちは知らされます。イエス・キリストがこの世に遣わされたのは、何のためであったのかを。ヨハネの手紙一の4章9節、10節に「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」とあります。生きるため、それは救われるためです。「神が、わたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
 今週の水曜日は灰の水曜日で、ここから受難節となります。イエス様が私たちの罪を贖うために十字架への道を歩まれたことを深く覚え、自らの罪を悔い改めて過ごす期間です。イエス様はこの世に遣わされました。その目的は「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」です。世が救われるため、皆さんが救われるためです。人類の歴史、それはヨセフとその兄弟たちのように、罪の歴史です。このように罪があふれている人の世に、神はイエス様を送ってくださいました。それは私たちが救われて、生きる者となるためなのです。
by higacoch | 2011-03-07 16:51 | 創世記
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