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2012年4月22日

「ヨナのしるしとは」  詩編116:1-14、マタイ福音書12:38-42
                             
 今年も教会の花壇には、色とりどりのチューリップの花が咲き始めました。近所の家々の庭にもコブシ、モクレンが咲き誇っています。少し前は、梅が、あんず、桜が咲き、それに続いて、次々にいろいろな花が咲き始めました。はなみずきの花も咲き始めました。こうした花々を見ることによって、わたしたちは「春が来た」と解ります。手元にカレンダーがなくても春がやってきたと解るのです。このように自然の草花を見て、時の変化を知ることができます。このような変化は、聖書の言葉では「しるし」という言葉が使われています。ある変化を示すような兆候、あるいはある出来事の予兆などを「しるし」という言葉で表しています。この言葉は旧約にも新約聖書にも多く使われています。よく知られている「しるし」はヨハネ福音書に「イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光をあらわされた。」とかあります。また「イエスは多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。」とか、また人々はイエス様に「わたしたちが見て、あなたを信じることができるように、どんなしるしを行って下さいますか。」と願ったりしました。こうして見てみると「しるし」というのは、偉大な業、奇跡、そうしたものをも表す言葉として用いられていることも解ってきます。
 今朝の箇所に律法学者とファリサイ派の人々が、「先生、しるしを見せて下さい。」とイエス様に願っています。すると、イエス様は「よこしまで神にそむいた時代の者は、しるしを欲しがる」と言われました。目に見えるしるしを欲しがる。これは私もそうでした。「しるし」を見たら、信じよう、しるしを求めて、それが満たされたなら、信じようとしていました。自分の欲求が先にあっての神様でした。そんな私を主は憐れんで下さいました。今朝の箇所に出てくる人々と私は、何ら変わりませんでした。「先生、しるしを見せて下さい。」なのです。これは「先生、私たちがあなたを救い主であると信じることができるように、わたしたちにはっきりとした「しるし」を見せて下さい。お願いします」です。これに対して、イエス様は「何もあなたがたに示すような「しるし」はない」と冷たくあしらわれたのではありません。そうではなく、「しるしはある。ただ一つだけある。それはヨナの「しるし」だ」と言われました。
 皆さんは旧約聖書のヨナ書を読まれたことがあるでしょうか。とても短く4ぺージしかありませんので、すぐに読めます。短いなりに筋がはっきりとしていて読みやすいのです。簡単にまとめますと、神様が預言者ヨナに「あなたは、外国の都ニネベの町に行って神様の言葉を伝えなさい」と言われました。しかしヨナは行きたくはありません。そこで逃げました。ニネベとは反対の方角に向い海に出て、船に乗ってどんどん逃げて行こうとしました。船は出航しました。しかし、すぐにその船は大嵐に遭いました。船は壊れそうになり、そこで船員たちは恐ろしくなって、神様に「助けて下さい」と必死に祈ります。積んだ荷物を海に投げ捨てて軽くしますが、船の揺れは一向に収まりません。そんな状態なのにヨナは船底でぐっすり寝込んでいました。船長はヨナの所に降りてきてヨナを起し、激しく怒ります。「起きて、あなたも神様に祈って下さい」と。そんな時、ある船員がこの船に神様の怒りを買った者がいるに違いないと言いだし、それは誰なのかということで、くじを引くことになりました。すると、くじはヨナに当たりました。船員たちはヨナに詰め寄りました。そこで、ついに彼は自分は神様から逃げていたことを白状しました。そしてヨナの方から「わたしの手足を捕まえて海にほうり込んでくれ、そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐が起こっているのだから」と言って自分を海に投げ込むように願いました。しかしさすがにそうはできず、船員たちは何とか船を陸に戻そうとしましたが、どうしてもできませんでした。そしてついに、彼らはヨナの手足を捕かまえ、海へ投げ込みました。すると、荒れ狂っていた海は静まりました。
 ヨナは、大魚によって呑み込まれ、三日三晩、魚の胃の中で過ごし、三日目に岸にはき出されました。イエス様は、このヨナのしるしである三日三晩のしるしを取り上げて、しるしは、これ以外には与えられていないとおっしゃっておられます。それは、ヨナが大きな魚の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる、と言われています。このことは、何を表すのでしょうか。イエス様は十字架上で死に、その遺体は降ろされて、その日の内に墓に納められました。そして三日間、墓の中でした。それから、三日目に墓から出て来られたのです。復活なさったのです。死に勝利され、新しい命をもって、復活の体を示されました。イエス様は、このことを出来事が起こる前に話されたのです。ここでイエス様が言おうとされたことは、ヨナのしるしは救い主が示した「しるし」だということ、そして、この「しるし」はイエス様の十字架と復活を表すものだということです。そして、この「しるし」以外に救いの「しるし」はないのだと、宣言されているのです。そして、「私を信じなさい」と言われているのです。「しるし」がなければ信じられないという、不信仰な者に唯一の「しるし」を明らかにし、語られました。  
 私たちは、ここでイエス様に尋ねた人たちと決定的に違う所に立たされています。それは、私たちは「ヨナのしるし」である「救いのしるし」が起こった後に、生きているということです。すでに「しるし」は為されたのです。イエス様を救い主と信じて、歩んでいきましょう。
by higacoch | 2012-04-28 18:18 | マタイ
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