「ヨナのしるしとは」 詩編116:1-14、マタイ福音書12:38-42
今年も教会の花壇には、色とりどりのチューリップの花が咲き始めました。近所の家々の庭にもコブシ、モクレンが咲き誇っています。少し前は、梅が、あんず、桜が咲き、それに続いて、次々にいろいろな花が咲き始めました。はなみずきの花も咲き始めました。こうした花々を見ることによって、わたしたちは「春が来た」と解ります。手元にカレンダーがなくても春がやってきたと解るのです。このように自然の草花を見て、時の変化を知ることができます。このような変化は、聖書の言葉では「しるし」という言葉が使われています。ある変化を示すような兆候、あるいはある出来事の予兆などを「しるし」という言葉で表しています。この言葉は旧約にも新約聖書にも多く使われています。よく知られている「しるし」はヨハネ福音書に「イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光をあらわされた。」とかあります。また「イエスは多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。」とか、また人々はイエス様に「わたしたちが見て、あなたを信じることができるように、どんなしるしを行って下さいますか。」と願ったりしました。こうして見てみると「しるし」というのは、偉大な業、奇跡、そうしたものをも表す言葉として用いられていることも解ってきます。 今朝の箇所に律法学者とファリサイ派の人々が、「先生、しるしを見せて下さい。」とイエス様に願っています。すると、イエス様は「よこしまで神にそむいた時代の者は、しるしを欲しがる」と言われました。目に見えるしるしを欲しがる。これは私もそうでした。「しるし」を見たら、信じよう、しるしを求めて、それが満たされたなら、信じようとしていました。自分の欲求が先にあっての神様でした。そんな私を主は憐れんで下さいました。今朝の箇所に出てくる人々と私は、何ら変わりませんでした。「先生、しるしを見せて下さい。」なのです。これは「先生、私たちがあなたを救い主であると信じることができるように、わたしたちにはっきりとした「しるし」を見せて下さい。お願いします」です。これに対して、イエス様は「何もあなたがたに示すような「しるし」はない」と冷たくあしらわれたのではありません。そうではなく、「しるしはある。ただ一つだけある。それはヨナの「しるし」だ」と言われました。 皆さんは旧約聖書のヨナ書を読まれたことがあるでしょうか。とても短く4ぺージしかありませんので、すぐに読めます。短いなりに筋がはっきりとしていて読みやすいのです。簡単にまとめますと、神様が預言者ヨナに「あなたは、外国の都ニネベの町に行って神様の言葉を伝えなさい」と言われました。しかしヨナは行きたくはありません。そこで逃げました。ニネベとは反対の方角に向い海に出て、船に乗ってどんどん逃げて行こうとしました。船は出航しました。しかし、すぐにその船は大嵐に遭いました。船は壊れそうになり、そこで船員たちは恐ろしくなって、神様に「助けて下さい」と必死に祈ります。積んだ荷物を海に投げ捨てて軽くしますが、船の揺れは一向に収まりません。そんな状態なのにヨナは船底でぐっすり寝込んでいました。船長はヨナの所に降りてきてヨナを起し、激しく怒ります。「起きて、あなたも神様に祈って下さい」と。そんな時、ある船員がこの船に神様の怒りを買った者がいるに違いないと言いだし、それは誰なのかということで、くじを引くことになりました。すると、くじはヨナに当たりました。船員たちはヨナに詰め寄りました。そこで、ついに彼は自分は神様から逃げていたことを白状しました。そしてヨナの方から「わたしの手足を捕まえて海にほうり込んでくれ、そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐が起こっているのだから」と言って自分を海に投げ込むように願いました。しかしさすがにそうはできず、船員たちは何とか船を陸に戻そうとしましたが、どうしてもできませんでした。そしてついに、彼らはヨナの手足を捕かまえ、海へ投げ込みました。すると、荒れ狂っていた海は静まりました。 ヨナは、大魚によって呑み込まれ、三日三晩、魚の胃の中で過ごし、三日目に岸にはき出されました。イエス様は、このヨナのしるしである三日三晩のしるしを取り上げて、しるしは、これ以外には与えられていないとおっしゃっておられます。それは、ヨナが大きな魚の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる、と言われています。このことは、何を表すのでしょうか。イエス様は十字架上で死に、その遺体は降ろされて、その日の内に墓に納められました。そして三日間、墓の中でした。それから、三日目に墓から出て来られたのです。復活なさったのです。死に勝利され、新しい命をもって、復活の体を示されました。イエス様は、このことを出来事が起こる前に話されたのです。ここでイエス様が言おうとされたことは、ヨナのしるしは救い主が示した「しるし」だということ、そして、この「しるし」はイエス様の十字架と復活を表すものだということです。そして、この「しるし」以外に救いの「しるし」はないのだと、宣言されているのです。そして、「私を信じなさい」と言われているのです。「しるし」がなければ信じられないという、不信仰な者に唯一の「しるし」を明らかにし、語られました。 私たちは、ここでイエス様に尋ねた人たちと決定的に違う所に立たされています。それは、私たちは「ヨナのしるし」である「救いのしるし」が起こった後に、生きているということです。すでに「しるし」は為されたのです。イエス様を救い主と信じて、歩んでいきましょう。
by higacoch
| 2012-04-28 18:18
| マタイ
|
カテゴリ
全体 創世記 出エジプト記 ルツ記 サムエル記 列王記 歴代誌 エズラ記 エステル記 ヨブ記 詩篇 イザヤ書 ミカ マタイ マルコ ルカ ヨハネ福音書 ローマ 使徒言行録 コリント ガラテヤ エフェソ フィリピ コロサイ テサロニケ テモテ フィレモン ヘブライ ヤコブ ペトロ ヨハネの手紙 ヨハネ黙示録 未分類 タグ
以前の記事
2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||