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2011年7月31日

「生ける神」  出エジプト記6:28-7:7, ローマ9:14-18 

 ニューヨーク・リハビリセンター研究所の壁に「病者の詩」と言う詩が掲げてあります。
「大事をなそうとして力を与えてほしいと、神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった
より偉大なことができるように、健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった
人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった
求めたものは、一つとして与えられなかったが
願いは、すべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた
私は、あらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ 。」

 求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた、とあります。この病者は、自分自身にとっての「幸い」を願っています。健康、富、権力、享楽などです。彼にはこの幸いと考えられるものが何一つ与えられませんでした。しかし、この詩人は、祈りが聞かれなかったと言っていません。実際に求めたものは与えられなかった。けれども、願いはすべて聞きとどけられたと心からの感謝をささげています。
 これと同じようなことが、今朝の箇所の3節にはあります。神は言われます。「私はファラオの心をかたくなにする」と。かたくなというのは、素直に受け入れないということです。ファラオがかたくなな心であったので、モーセは何度もファラオの前に出かけなければなりませんでした。ですから、神様が意地悪なことをされているように思えるのです。
 モーセたちが、最初にファラオに願ったのは、「三日の道のりを荒れ野に行かせて欲しい。そこで、私たちの神に犠牲をささげさせて下さい。」でした。でもファラオは受け入れません。モーセらが願いに行くたびに、ファラオは拒否し続けました。そのたびに、エジプトに災難が起こります。ナイル河の水が血に変わったり、蛙が、ぶよが、さらにあぶが大発生したり、疫病の災い、腫れものの災い、次々の襲う災難にも関わらず、ファラオはかたくななままでした。
 そして、ついにエジプトの全地に雹がふり、人も家畜も打たれ、田畑の大麦や亜麻など木々も打たれた時、今度ばかりは、ファラオは「自分が間違っていた、正しいのは主であって、悪いのは私と私の民だ」といって、「あなた方を去らせよう」と約束するのです。そこで、モーセが、ああやっと聞かれたと思い、主に感謝して祈りをささげると、今まで降っていた雹がやみました。災難が去ったのを知ったファラオは、またすぐにかたくなな心になり、イスラエルの人々をさらせなかったのです。
 そんなモーセらに、主は言われました。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心をかたくなにしたのは、私自身だ。それは彼らのただ中で、私がこれらのしるしを行うためであり、わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかを、あなたが子孫に語り伝え、私が主であることをあなたたちが知るためである。」と言われたのです。「私が主であることをあなた方が知るために」そうしたと神ははっきりと言っておられます。
 さらに災難は続きます。イナゴの大群、暗闇、そして、最後は、初子が死ぬ出来事が起きてしまいます。(この最後の出来事は次回に学びます。)
 これほどまでに、神はファラオの心をかたくなにされたのは、神の計画があったのです。軍事力を誇るエジプト軍に対して、神はそれに勝る軍事力によって、エジプトを脱出させたのではありません。そうではなく、神ご自身の力によって脱出させられました。ファラオのかたくなさは、エジプト人に、ファラオに、イスラエルの人々に、神の力が示すためだったのです。神はモーセの働きを通して、神の救いを遂行されていかれました。しかもはっきりと神の力を示しながら、なされた出来事だったのです。
 最初に、病者の詩を紹介しましたが、私たちが祈る祈りは、聞かれていないのではありません。私たちが求めていたその最も深いところで、神はその願いを聞いて、神が応えて下さっているのです。祈りは聞かれる。ただし、自分が願ったように、その願いが与えらるというより、神がよしとされる所において、聞かれるのです。
 ファラオのかたくなさも、神によって用いられていました。神がいかに力ある方なのかを現し、イスラエルの人々を奴隷状態から解放してくださったのです。神は私たちの思いを超えて働いておられます。そして、あなたの祈りもあなたにとってよいもので応えて下さいます。
by higacoch | 2011-07-31 17:47 | 出エジプト記
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