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2010年8月15日

「平和を求めて」  創世記26:15-25, マタイ福音書26:52

 かつてのドイツの大統領ヴァイツゼッカー氏はドイツ敗戦記念日(5月8日)の40周年記念大会においてドイツ国会で講演をしました。この講演で有名な言葉は、「過去に対して目を閉じる者は、現在に対しても目を閉じる者であります。かつて非人間的な事柄を思い起こしたくないとする者は、新しく起こる罪の伝染力に負けてしまうのであります。」(「想起と和解」加藤常昭訳より)過去の出来事に真摯に目を向け、その出来事を見つめ、その事実から学ぼうとしない者は、将来に対して責任ある行動がとれない、つまり過去の出来事からしっかりと学ばなければならないということです。
 先週、日本の菅首相が、韓国併合条約発効100年を迎えるに際して、過去の植民地支配への反省と未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする首相談話を表明しました。この事は実に大事な事だと思います。過去の事実を踏まえての誠実な言葉だと私は思います。最近、戦争体験者で今まで口をつぐみ、語ろうとしなかった80才代の方々が、死ぬ前に、身近で起こった戦争体験を語り出されていることは実に勇気づけられます。戦争が風化してきているこの時代に、風化させてはならないと重い口を開いて語り出している人々を思う時に、二度と戦争をしてはならないというメッセージを強く感じるのです。  
 今朝はイエス様が言われた言葉「剣を取る者は皆、剣で滅びる」をしっかりと覚えたいのです。戦争になれば、人は武器を持ちます。国は戦争のための武器、爆弾を作ります。それらは最終的には人を殺します。敵国人ではありますが、人を殺していきます。イエス様が「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われたのは、剣を武器、爆弾と言い換えてもいいでしょう。戦争のために、何らかの武器を取る者は、それに対抗する武器によって滅びます。武器をとって平和を作ることは出来ないのです。平和のための戦争、平和をもたらすためだと言って、戦争を正当化したとしてもそれは偽りであって、真の平和は創り出せないのです。
 私たちは今年4月の三教会の合同退修会に、講師として桃井和馬氏を迎えて話を聞きました。桃井氏は世界の紛争地域にも足を入れてカメラに収めておられるフォトジャーナリストですが、その桃井氏から、戦争の真の原因は宗教対立、民族対立ではなく、土地や水や物資の奪い合いが原因で、小競り合いが生じ、拡大して戦争となっていくと言われました。
 そうしたことを思い起しながら、今朝の旧約聖書を読みました。ここ創世記26章15節以降は井戸の水の争いです。イサクら一行は何度も井戸掘りをしています。そして井戸の水利権を巡って対立が起き、争いが生じました。しかし、イサクは争い続けたのではありません。彼等は新たな場所に移動し、井戸を掘り、水を得ていきました。最終的にベエルシエバに上り、そこで、主からの祝福の言葉を頂きました。
 私はこうした井戸を掘って生きて行く、このことが平和を求めて生きて行く道を表していると信じています。争いが生じた時、その争いに対抗して武器ではなく、井戸を掘る農具を手にしたこと、戦いに生きるのではなく、ただそれを避けるだけではなく、ここでは井戸を掘る道、これが平和を創り出していくと信じるのです。
今も戦争中のアフガニスタンで井戸掘りをしているペシャワール会の人たちがいます。その代表者は中村哲氏ですが、現在までに1500以上の井戸を掘り、今では潅漑用水路(24㎞)を整備し、農業指導をしています。アフガニスタンの人々の9割が農業に携わっています。中村さんらはその大切な水を提供し、農業を進め、地域の人々に仕えてこられ、平和を創り出しておられます。中村さんははっきりと剣で平和を創り出していくことができないと言い切っておられます。それはアメリカ軍、またNATO軍による武力で平和を創り出すことはできないという批判であります。
 私たちも小さな歩みの中で、しっかりと日本がどのような歩みをしようとしているのか、見極めなければなりません。もし剣を取るような歩みへと進もうとしているのなら、イザヤ書2章4節の「剣を打ち直して、鋤とし、槍を打ち直して、鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」という主の言葉に耳を傾けなければなりません。この預言が、ニューヨークにあります国際連合の建物に向かっての壁に、くっきりと刻まれているのです。
 イエス様が言われました。「平和を創り出す人は、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」と。平和を創り出す歩みは、戦争をしている国がそうするのであって、戦争していない国には関係ないというのではありません。否、現在、戦争をしていなくても、戦争を創り出していく歩みはあり、戦争になってしまった時にはもはや遅いのです。平和を求めて生きることが今も求められています。私たちは決して戦争の備えをする歩みへと向かってはなりません。むしろ平和を創り出す歩みを求められているのです。剣を取る者は、剣で滅びるのです。主は、滅びる道をはっきりと示して、その道を歩んではならないと教えてくださっています。主の言葉を聞いて、主に従って、主が与えて下さった平和、武力によってではなく、愛と赦しによって、人が共に歩んでいく平和を求めて歩んでいきましょう。
by higacoch | 2010-08-21 17:25 | 創世記
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