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2010年3月28日

「とりなしの祈りをせよ」  エレミヤ書29:4-7,Ⅰテモテ2:1-7 
 
 本日はしゅろの主日、イエス様が子ろばに乗って都エルサレムに入城された日であります。イエス様の十字架への道を今朝与えられましたテモテへの手紙と重ねて考えてみたいと思います。今朝の個所には、三度も「すべての人」とあります。これはイエス様が十字架へと向かわれたことは、すべての人のためであったと言うことです。「すべての人」とは、その当時の都エルサレムの住民すべてではなく、その時代の地上の人々のすべてでもなく、その時代を越えて私たちの時代も、さらに将来も含めての人々であり、全歴史をも含み、地上のすべての人々を含むすべてなのです。ですからこれに漏れる人はいません。すべての人が対象です。こうしたことを私たちが考えてみますと、ここにいらっしゃるあなたのためにでもあるのです。信仰者であれ、求道者であれ、今日初めて礼拝に来られた人であっても、あなたのためでもあるのです。そしてあなたのご家族一人一人のためでもあるのです。
 パウロが力強く言っていることには幾つかの背景があります。まずユダヤ教では、律法を守る義人という限られた者の救いが語られ、またグノーシス主義者たちは、神秘的な知識を知る者だけの救いを語りました。しかしパウロはキリスト・イエスはすべての人の贖いとしてご自身を献げられたと言い、神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられると言い切っています。また当時ローマ皇帝は人々に皇帝崇拝を命じていました。そのような状況の下でパウロは王(皇帝)やすべての高官のために(祈りを)ささげなさいとも言っています。王(皇帝)を崇拝せよとか憎めとかというのではなく、執り成しの祈りをせよと勧めているのです。それはそうした者たちのためにもキリスト・イエスは死んでくださったのだからという根拠があったからでしょう。
 パウロの確信が与えられた者、つまり教会は、救われていない人々のために、執り成しの祈りをするという務めを神によって与えられているのです。すべての人を包む神の救いの出来事をあらゆる人々に伝えること、これが神から与えられた務めであるとパウロは確信していましたし、その確信があったからこそ、テモテにもそれを伝える使命が与えられていると言いたかったのです。テモテに言いたかったことは私たちに言われていることでもあります。私たちも神から執り成しの祈りをするように、特別な使命が与えられているのです。このことを受け止めて、日本の為政者や他の国々の為政者や、また救われていない隣人のために執り成しの祈りをして行く者でありたいものです。
by higacoch | 2010-03-31 19:35 | テモテ
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