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2009年7月26日

「与えられたものを生かす」   詩編 16:7-11, マタイ 25:14-30

 今朝の箇所は、天国のたとえ話であります。主人は僕たちを呼んで、自分の財産を預けました。僕たちのことをよく知って、それぞれの力に応じてです。いい加減に預けたのではありません。この僕には5タラントン、この僕には2タラントン、それからこの僕には1タラントン(現代のお金に換算すると約6千万円)を預けました。それから旅に出掛け、かなりの日が経ってから戻ってきて、僕たちを呼んで清算致しました。
 5タラントンを預けられた者は主人の前に出て他に5タラントンを差し出して言いました。「ご主人様、5タラントンをお預けになりましたが、ご覧下さい。ほかに5タラントン儲けました」と。2タラントンの者も主人の前に出て言っていますが、5タラントンの僕と全く同じ言葉であります。これに対して、主人の応えも全く同じです。主人はどちらにも「忠実な良い僕だ。良くやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と祝福しています。しかし第三の僕は全く違っていました。先の二人の僕は主人の信頼に応えて行動していますが、この僕は全く逆です。
 この話で次のように案じて質問する人がいます。第一の僕、第二の僕が儲けたということだが、もし彼らが事業を失敗しお金を減らしてしまったら、あるいは失敗して無一文になったら、どうなるのかと。ここで問われているのは儲けの金額ではありません。主人が僕に求めたことは、主人が語った言葉から察することができます。主人は「忠実な良い僕だ。良くやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と言っています。この短い中に「忠実」と言う言葉を二度も語っています。主人は「よく儲けてくれた」と言ってはいません。「忠実に生きたか」ということは、その人が儲けた金額で計れるものではありません。それは神様から与えられたタラントンを十分に生かして生きたかということなのです。タラントンという言葉は「才能」の語源でもありますが、この譬えは与えられた能力を如何に用い生かすのか、そうしたことが問われているのです。
 私たちは、与えられたものを神様に喜ばれるように用いて生かしていきたいものです。それは、神様を愛し、隣人を愛する歩みであります。人生の終わり、天に召された時、「忠実な良い僕、よくやった」と神様に祝福して頂けるように、それぞれに与えられたものを生かして歩み続けて行きましょう。
by higacoch | 2009-07-31 21:21 | マタイ
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